茨城県ウオーキング協会 | iwa 年間スケジュール お問い合わせ サイトマップ  
連載 パスポート案内 ウオーキング用品 申請書ダウンロード 関連リンク
HOME | 茨城県ウオーキング協会 協会概要 IWAニュース 最新大会案内 県協会主催大会 活動報告 加盟団体情報 指導者会 個人会員 茨城を歩こう


地図のお話


  HOME > 連載 > 地図のお話




 地図のお話 目次


タ  イ  ト  ル
第101回    日本版GPS「みちびき4号」打ち上げ成功
 -カーナビや携帯電話で現在地がさらに正確になる!-
第100回   地形図に見る土地の成り立ち(茨城県編その4)
 -山地・丘陵と土砂災害-
第99回    地形図に見る土地の成り立ち(茨城県編その3)
 -台地・段丘と谷底平野(低地)-
第98回   地形図に見る土地の成り立ち(茨城県編その)2
 -海岸平野と鹿島臨海工業地帯-
第97回   地形図に見る土地の成り立ち(茨城県編その1)
 -鬼怒川の旧河道を歩こう-
第96回   地図に見る土木遺産(茨城県編その11)
 -江連用水旧溝宮浦両樋-
第95回   地図に見る土木遺産(茨城県編その10)
 -央(なか)橋(常陸太田市町屋町-
第94回  地図に見る土木遺産(茨城県編その9)
 -筑波山砂防堰堤群-
第93回   地図に見る土木遺産(茨城県編その8)
 -大手橋(水戸市三の丸)-
第92回   地図に見る土木遺産(茨城県編その7)
 -関宿水閘門-
第91回   地図に見る土木遺産(茨城県編その6)
 -霞ヶ浦湖岸施設(元鹿島海軍航空跡)-
第90回  地図に見る土木遺産(茨城県編その5)
 -旧月居(つきおれ)隧道-
第89回  地図に見る土木遺産(茨城県編その4)
 -花貫川第一発電所第3号水路橋(通称:めがね橋)-
第88回  地図に見る土木遺産(茨城県編その3)
 -筑波山トンネル-
第87回  地図に見る土木遺産(茨城県編その2)
 -水戸水道(旧)低区配水塔-
 
第86回  地図に見る土木遺産(茨城県編その1) 
 -横利根閘門(こうもん)- 
第85回  測量・地図にゆかりの人々(茨城県編その5) 
 -日本初のオランダ地図『新訳和蘭国全図』を制作した古河藩家老(地理学者)・鷹見泉石-
第84回  測量・地図にゆかりの人々(茨城県編その4) 
 -「竹島」記載の地図を作製した土浦の地理学者・山村才助-
第83回   測量・地図にゆかりの人々(茨城県編その3)
 -沼尻墨僊(ぼくせん)と傘式地球儀の製作- 
第82回  測量・地図にゆかりの人々(茨城県編その2)
 -間宮林蔵と伊能図(蝦夷地測量と蝦夷全図)の作成- 
第81回  測量・地図にゆかりの人々(茨城県編その1)
 -長久保赤水(せきすい)と赤水図(改正日本輿地路程全図)-
第80回  外国人にわかりやすい地図表現について
 -国土地理院が近々公表予定-
 
第79回  今年の干支は「申(猿)」 
 -干支に因んだ山は?-
第78回  地形図がスマホ対応
 -地理院地図がリユーアル- 
第77回 鬼怒川決壊に思う (第2弾)
 -関東・東北豪雨災害 あれから1か月- 
第76回 鬼怒川決壊に思う
 -関東・東北豪雨災害-
 
第75回  堺田(山形県最上町)の分水嶺
 -芭蕉と奥の細道ゆかりの地-
第74回  榎本武揚が北方4島を含む千島列島を日本の領土とした話
 -伊能測量隊隊員「箱田良助」は榎本武揚の父-
 
第73回  首都圏自然歩道「関東ふれあいの道」を歩こう
 -茨城県コース13「果樹の里のみち」一部コース見直し-
 
第72回 箱根火山の噴火警戒レベル引上げ
 -地図記号「がけ」「噴気口」「温泉」は何を語っているのでしょう?-
第71回  地図の利用(複製)手続について
 -ウオーキングマップの基図利用上の注意点-
第70回  BS-TBS 「新・日本歩く道紀行(仮)」 放送決定!
 -名道の歴史と文化を尋ねる-
第69回  伊能図に先駆けて作成された精緻な地図が沖縄にあった?
 -「琉球国之図」(尚財団所蔵)-
第68回  地図から読み取れる遺構
 -真壁城址 大規模な城郭庭園-
第67回  今年の干支は「羊」
 -「蝦夷富士」と呼ばれる美しい山の名は、「羊蹄山」
第66回 北方領土地形図が新たに刊行
 -92年ぶり更新-
第65回 御嶽山の火山噴火災害に思う
第64回  陸地測量部(現国土地理院)の地図が、わずかにコーヒー一杯の代価で買える
 -「寺田寅彦の名言」第2弾-
第63回  天災は、忘れたころにやってくる
 -他人ごとではない竜巻被害-
第62回  「第27回 完全復元伊能図全国巡回フロア展」のご案内
 -中央区まつり 伊能忠敬居住200年-
第61回 ゲリラ豪雨に気を付けよう!
 -洪水ハザードマップを知っていますか?-
第60回 「地理院地図」表示用の「避難所等の地図記号」を決定
第59回  ウオーキングコースの歩行距離の決定方法について
第58回  国土地理院の地図の利用手続について
第57回  「日本のへそ(重心点)」はどこでしょう?
第56回  地理院地図」が正式公開
 -国土地理院が提供する地図サイト-
第55回 今年の干支は「午年」 
 -「駒ケ岳」という山の名称が多いのは何故?-
第54回 フィリピン大災害は他人事ではない 
 -ハザードマップを考えよう(その2)-
第53回  伊豆大島「土石流災害」に思う 
  -ハザードマップを今一度確認しよう-
第52回 地図上の現在位置を知ろう 
 -図上位置を知る方法-
第51回 傾斜地の斜面距離を求める方法は?
第50回 地形図の等高線から地形を読む 
 -尾根と谷の見分け方-
第49回 地形図から傾斜(勾配)を求めるには
第48回 2万5千分1地形図の読み方を間違えないポイント
第47回 2万5千分1地形図の地図記号の由来いろいろ
第46回 2万5千分1地形図の読み方・使い方(その10)
 -道路や鉄道に関係する各種の記号-
第45回 2万5千分の1地形図の読み方・使い方(その9)
 -境 界-
第44回 2万5千分1地形図の読み方・使い方(その8)
 -地 形-
第43回 電子国土を使ってみよう
 -インターネットで閲覧できる地形図-
第42回 「美しい日本の歩きたくなるみち500選」マップガイド
 『東京・神奈川・千葉・埼玉45コース』が刊行される
第41回 国土地理院の「最新の2万5千分1地形図のインターネット刊行」について
第40回 国土地理院の電子国土基本図(地図情報)とは
第39回 2万5千分1地形図の読み方・使い方(その7)
 -特定地区-
第38回 水害から身を守るためにチョット勉強をしてみよう
 -治水地形分類図-
第37回 第6回つくば国際ウオーキング大会のコースマップづくり
第36回 第6回つくば国際ウオーキング大会と竜巻被害に思う
第35回 日本の位置と高さの基準は今どうなっているのか?
 -日本経緯度原点と日本水準原点のお話-
第34回 3・11東日本大震災に思う 
第33回 2万5千分1地形図の読み方・使い方 その6 
 -植 生-
第32回 2万5千分1地形図の読み方・使い方 その5
 -地形図記号の表示方法?-
第31回 2万5千分1地形図の読み方・使い方 その4 
 -鉄道の記号について-
第30回 三角点の緯度経度、水準点標高を改定
 -東日本大震災で土地が移動した?日本の面積も
1平方km増加?-
第29回 2万5千分1地形図の読み方・使い方 その3
 -道路の記号について-
第28回 2万5千分1地形図の読み方・使い方 その2
 -記号と対象物との位置関係を知ろう-
第27回 2万5千分1地形図の読み方・使い方 
 -建物などに使う記号-
第26回 活断層とは?-地震発生確率が高まる活断層-
第25回 -地震で引き起こされた「地盤沈下」災害-
第24回 -第5回つくば国際ウオーキング大会のコースマップづくり-
第23回 液状化と土地条件図
 -地盤の脆弱性は地図に表われています-
第22回 東北関東大震災(東北地方太平洋沖地震)
 -震度分布図、津波浸水予想図(津波ハザードマップ)-
第21回 -都市直下型の地震 ニュージーランド(クライストチャーチ)の地震に思う-
第20回 -山地、山脈、高地の呼称と山などの呼び方について?-
第19回 -比高と岸高の違いは?-
第18回 -湖、沼、池の違いは何か?-
第17回 -地形図と海図の海岸線・標高・水深の考え方は違うの?-
第16回 -海抜と標高の違いは?-
第15回 -図上距離の測り方?-
第14回 「方位(方角)を知ろう」
第13回 地形断面図の作り方
第12回 地図の接合とは?
第11回 「伊能図とは」
第10回 「完全復元伊能図全国巡回フロア展in水戸」を成功させよう!
第9回 「基本の地図-基本図-」とは ?
第8回 明治前期測量 フランス式彩色地図
 -二万分の一迅速図-
第7回 地図の縮尺とは?
第6回 「地図記号」
第5回 「地図」はこんなに使われている
第4回 ところで「地図」ってなんだろう
第3回 日本標準時子午線はどこ?
第2回 「点の記」って何?
 -映画「剱岳点の記」-に思う
第1回 「測量の日」関連イベント「歩く地図教室」って何?






     「測量の日」関連イベント「歩く地図教室」って何?(第1回)

 
   去る6月7日(日)、「測量の日」記念ウオークの関連行事として、「歩く地図教室」が開かれました。茨城県ウオーキング協会からも参加者の安全管理を兼ねて2人が参加しました。
 このイベントは、多くの人に地図に親しんでもらうことを目的に、地図を片手に国土地理院の周辺に表示されている地図記号を目当てに約4kmのコースをウオーキングするものです。
 地図教室の先生には、地図作りの専門家でもある国土地理院のOB2人にお願いし、特注の地図入りパンフレット(別図)を片手にスタートしました。参加者は4人の子供さんを含む総勢13名でした。
 国土地理院構内の電子基準点、直径32mのVLBIアンテナとめぐり、国土地理院東側の水田地帯へと先生の解説を聞きながらのエコウオークです。寺院・墓地・神社・記念碑などの地図記号の集中する「弥平太」集落は、地図記号を説明する(理解する)には絶好の場所です。先生からは地図記号デザインの由来や記号の表示原則等が説明され、参加者からは「へえ、そうなんだ・・・」(納得?)といった反応がありました。

 つくば市は、芝生生産日本一ということはご存じでしょうか?芝生の記号はどんな形?芝生は野菜や牧草地、パイナップル(沖縄に多い)などと一緒の記号で、「畑」の記号で表します。こういった調子で、国土地理院の周りをぐるっと一周4kmコースを約2時間かけてのゆっくりウオークでした。

 公認指導員研修会などでは、私は「地図は見るものではなく、読むものです」とお話をしていますが、歩きながら楽しく地図を勉強するのもたまには良いものだと思いますが如何でしょうか?機会を見て、地図を片手に一緒に歩きましょう!
(堀野正勝 記)



【参考動画】国土地理院構内の電子基準点、直径32mのVLBIアンテナ






     「点の記」って何?    -映画「剱岳点の記」-に思う(第2回)


 国土全体の正確な地図作成のためには、まず骨格となる地球上の位置(緯度、経度、標高)が精密に分かる地点が必要です。その地点を求めるために行われたのが三角測量です。最初に行う一等三角測量では、三角形の一辺の長さが40~60kmに及ぶ大きな三角形を図ることになります。

 剱岳周辺の測量は、5万分の1地形図の整備に伴う一等三角測量のため、1894(明治27年)に立山雄山に一等三角点「立山」が設置されたのが始まりです。あとに続く二等三角測量(三角形の一辺の長さが約10km)では、1902(明治35)年、劔岳の周辺に二等三角点「大日岳」「大窓」などが設置されました。

 さらに、5万分の1地形図作成のための基準点として適当な間隔になる三等三角測量(三角形の一辺の長さが約4km)を行うために、柴崎芳太郎(1876~1938)を測量官とする測量隊が中部山岳地帯で最も厳しく危険のため残されていた剱岳を中心とする「地図の空白地帯」に三等三角点を設置する測量を行うこととなりました。

 しかし、古来、「地獄の針の山、登ってはならない山、登ることのできない山」とされてきた「剱岳」の、その余りにも厳しい道程に、三等三角点標石や観測機材の運搬が困難で、櫓のみの設置に止めざるを得なく、観測は、周囲の設置済みの三角点5点からの前方交会法により行われました(当時の「劔岳」は標石の無い四等点でした)。

 ところで映画のタイトルにもなっている「点の記」とは何なのでしょうか?

 「点の記」は、上記にも述べた三角点設置の記録です。一等から三等三角点点の記まで三種類があります。三角点標石埋定の年月日及び人名、覘標(測量用やぐら)建設の年月日及び人名の他、その三角点に至る道順、人夫賃、宿泊設備、飲料水などの必要事項を収録したものです。明治21年以降の記録は永久保存資料として国土地理院に保管されています。

映画には、「点の記」をはじめ古い資料・測量機材が沢山出てきます。「日本地図完成のために命を賭けた男たちの記録」として、是非一度映画「剱岳点の記」をご覧ください。

(堀野正勝 記)






     日本標準時子午線はどこ?(第3回)


 皆さんは、日本標準時子午線(東経135度)が移動したのはご存知でしょうか?勿論、世界標準時子午線はイギリス・ロンドンにあるグリニッチ天文台を通る子午線(東経・西経0度)です。平成14(2002)年の3月末までは、兵庫県明石市にある明石天文台がちょうど日本標準時子午線の通る地点とされていました。山陽新幹線からも右山手側の方角に時計台がチラッと見えますヨ。

 ところが、平成14(2002)年4月より、日本の測地系が日本測地系から世界測地系へと切り替えられました。このため明石のあたりでは、日本標準時子午線が従来の地点より9.9秒東に移動しました。距離にして約250m東に移動したことになります。

 正確な地図作りにはこの測地系の変更は大きく影響しますが、我々の日常の暮らしにはあまり縁がありません。しいて言えば、GPSの運用が世界測地系によっていますので、カーナビなどによる車の運転などに間接的に影響していました(世界測地系を日本測地系に直して使用するなどの手間がかかっていた)が、 運転するのにこんな原理を知らなくても良いし、我々の暮らしぶりには直接影響することは有りません。

 ちょっと面白い話としては、この日本標準時子午線の移動に伴い、子午線が通る自治体の数が、5市11町から「7市12町」に増え、「日本のへそ」を自称する市町が3箇所増えたことぐらいでしょう。

 今日のお話は、最近話題となっている、地形図などに記載されている世界測地系との絡みで、「日本列島の地球上の正確な位置が、平成14年4月からチョットだけ北西方向にずれた」という、雑学としての情報提供でした。

(堀野正勝 記)






           ところで「地図」ってなんだろう(第4回)


 朝、起きて新聞を見ると、隣町で事件があって、現場の見取り図が出ています。テレビでは、気象予報士が天気図を背に今日の予報を話しています。身支度を終わって車で駅まで向かうが、カーナビの地図が映し出されています。駅前には観光案内図やバス路線図があります。仕事場の壁には、世界地図や日本列島の地図が貼られています。午後からの会議の会場を、グーグルマップから検索し、コピーをします。

 ことほど左様に、ある1日をちょっと考えただけでも、私たちは、沢山の地図に囲まれて暮らしていることが分かります。地図は私たちの暮らしになくてはならないものなのです。地図のことをよく知り、上手に使えば、必要とする情報をいくらでもくみ取ることができます。情報を他の人に効果的に伝える事もできるのです。


国土地理院「地球ひろば」
地球儀の一部?
-地球の20万分の一の模型-
右に見えるのは、
測量に使う櫓の見本

 「地図」という言葉を、辞典や教科書で調べてみると、いろいろな説明が載っています。代表的なものを、二、三上げてみましょう。

・ 一定の地域の状況を縮尺して平面に描いた図

・ 地表上の諸現象を観察しやすいように縮小して表現したもの

・ 地球、その他の天体の表面又は内部に関する事象の内、位置の特定できるものについて記号、文字など一定の表示法により縮尺化して表面等に表示したもの

 これらは、いずれも地図の定義を的確に述べています。しかし、私たちの未来にとっては、「地図」にきっちりとした枠をはめるよりは、思考の範囲を柔軟に拡大した方が良いのではと思いますが、如何でしょうか。

 いくつかの実例で「地図」にはどんなものがあるのか見てみましょう。地球儀、地理院の地球ひろばには「地球儀の一部」を切り取った20万分の1日本列島がありますヨ。地形摸型や人工衛星画像。鉄道の路線図。観光地の鳥瞰図(鳥の目で地上を眺めたように描いた地図)。世界地図と言えば布団に描かれた「おねしょ地図」が代名詞?。最近ではコンピュータに代表されるカーナビマップなどもあります。

 地図は智図に通じます。大いに地図に親しみ、楽しんでみてください。


(堀野正勝 記)






     「地図」はこんなに使われている(第5回)


 私たちは、身近な地域の様子を覚えておくために、何気なく頭の中に地図を描いています。学校までの通学路途中のお菓子屋さんや文房具屋さんの位置関係、近所の魚屋さんと肉屋さんを最も効率的に回る道順、会社と繁華街の飲み屋さんと家とを結ぶ交通網などは、いちいち地図を見なくても頭の中の地図を読み出せばすぐに分かります。でも、頭の中の地図は人それぞれにみんな異なっているので、他の人に何かの場所を伝えるときには、自分の頭の中にある膨大な地図の中から必要なものを取り出し、それを地図にして知らせる事が良く行われます。地図によって、人はその場所に行かなくても、その地域の様子を知ることができるからです。


メトロネットワーク

 私たちの暮らしには、頭の中の地図の情報を伝えたり、頭の中に新たな地図を付け加えたりするために、日常的に地図が使われています。家までの道順を教える地図、新聞の折り込み広告の新装開店の案内図、バスや電車の路線図や運賃図、道路地図など、地図に接しない日はないでしょう。とある休日に家族でドライブに出かけることになりました。目的地をどこにするのか、どういう道を通っていくのか、地図を広げて家族そろって楽しく語り合ってみては如何ですか?旅の楽しみは地図を広げた時から始まっていますヨ。

 もう少し、違った視点で見てみると、地図はまた、社会を円滑に動かし、経済を調和的に発展させ、災害の無い豊かな国土を建設していくために、大いに役立っています。我々の身近な行政である市町村でも、都市の開発・保全のために都市計画図が作られたり、道路を円滑に管理するための道路台帳図といった地図が作られています。

 わが国の地図に関する最初の記録は、『日本書紀』の中で、班田収受の実行を命じた詔に、地図を作成して提出する旨の記述があることとされています。律令国家の時代から、既に地図が行政に使われていたのです。

 このように、身近な暮らしの中や、社会の中で「地図」は沢山使われています。

(堀野正勝 記)






     「地図記号」(第6回)


 皆さんがウオーキング用のベースマップとして、またウオーキングコース作りなどでお馴染み(?)の国土地理院発行の2万5千分の1地形図は、「地図語」としての数多くの「地図記号」で成り立ってい
ます。

 地図記号というと、神社やお寺などの記号はほとんどの人が分かるかと思いますが、神社やお寺そのものの地球上の位置や実形をA2版程度の1枚の紙上に2万5千分の1に縮小し表現するのには、相当の無理があるのは、誰が考えてもお分かりになるでしょう。


 そこで、登場するのが「地図記号」ということになります。「ここはこういう場所でこういう大きさの本殿や境内の広さを持つお寺です。周囲は竹林や針葉樹の林で囲まれた景観の素晴らしいところです」といった、お寺について言葉で表現すれば延々と長くなる内容を「地図記号」という形で表現しているのです。冒頭に「地図記号」は「地図の言葉(地図語)」ですといったのがお分かりいただけるかと思います。

 地図記号は前述のお寺や神社の記号はほんの一部で、2万千分の1地形図では、現在、およそ175程度(地形図作りは明治初頭以後140年余の歴史があり、その時代を反映して、地図記号も増減を繰り返しています)から成り立っています。

 地図上に描かれた山や川・湖の形、道路や鉄道、山村の集落や都市のビル・都市近郊の住宅団地の景況、たんぼや畑・森(針葉樹、広葉樹など)など、眼前に広がる地形や風景・家並みの配置などが全て「地図記号」で表されているのです。

 特に2万5千分の1地形図は、国の基本図として約4,340面で全国をくまなく整備する最大縮尺の地図です。開発や環境の変化に伴いこれらの地図は、一定の周期で更新されています。原則的には、大規模な道路や鉄道などが開通したときには、併せて修正が施され、紙ベースでも刊行されます。

 国土地理院では、一般的には、都市部3年、都市近郊5年、それ以外は10年周期で更新するのがルールとなっていますが、昨今の厳しい財政事情もあり、かなり遅れ気味になっています。ただし、コンピューター上での修正・更新は、常時修正(1年に1度程度の修正)を目指し、維持管理に努めています(ホームページ上の地形図は比較的新しい)。

 したがって、紙ベースの地形図は必ずしも現況を表してはいませんので、新しい道路が無かったり、開発で変わってしまった地形、無くなった家屋などが、以前のままであったりすることがあることも頭に入れておきましょう。

 機会を見つけて、是非、「1枚の地形図」を手に持ち、自分たちの住み慣れた地域や場所を改めて訪れてみては如何でしょうか?地図を片手にテクテクと歩いて(ウオーキングして)みると、きっと新しい発見があると思いますヨ!!

(堀野正勝 記)






          地図の縮尺とは?(第7回)


 地図は、地球上の姿をそのまま1枚の紙の上に写しだすことができれば、まさに1分の1の縮尺ということになります。それでは、ものすごい大きな紙を広げて持ち歩くことになり、これでは不可能だということは、誰が考えてもお分かりになるでしょう。

 そこで、使う目的に応じて地図の縮尺が決められることになります。例えば、日本を中心として、日本列島と所属する島々をすべて1枚の紙(例えば110cm×79cm程度、ほぼB1判サイズ)に収めようとすると、その縮尺は300万分の1~500万分の1位になります。

 日本の領土・領海は、経済水域200海里を含めるとかなりの広さになるということが良く分かります。ちなみに日本の北端は択捉島、南端は沖ノ鳥島、西端は与那国島、東端は南鳥島です。約東経123度~154度、約北緯20度~46度の範囲に位置します。

 また、一番大きな縮尺の地図で、公に使われているものとしては、宅地や建物の景況が概ね正しく描かれる500分の1の地図(地籍図や、宅地・建物現況図など)があります。これらの地図は、1軒ごとの土地の所有範囲や、建物の大きさが法律に定められた許容範囲に描かれることが前提となっています。

 我々が、普段ウオーキングに使っている25,000分の1地形図は、ほぼA2サイズ(58cm×46cm)に概ね100k㎡が収まるように設計され、諸計画の立案や、屋外でも利用するのに便利な大きさに作られています。多少の編集はされていますが、ほぼ周囲の景況がしっかりと表現されています。250mが1cmに縮小されていますので、そのあたりを十分頭に入れて歩いてください。

(堀野正勝 記)






     明治前期測量 フランス式彩色地図     -二万分の一迅速図-(第8回)


 昨年話題となった映画「剣岳点の記」は、明治後期の陸地測量部(国土地理院の前身)の測量官の活躍(苦労)を描いたもので、この映画をご覧頂いた方も沢山おられることだと思います。この映画は日本アルプスに残された、地図の空白部分を誰よりも先駆けて登山し、測量の基準となる三角点を設置し正確な地図作りをしようとする測量官の物語です。
  この全国整備を目指した5万分の1地形図(今は、2万5千分の1地形図約4,430面で全国をカバー)は近代的な測量術を駆使して行われたもので、昭和40年代に2万5千分1地形図が完成するまでは、全国をカバーする最大縮尺の地形図でした。
 最新の地形図のできるまでは、次の機会に譲ることとし、明治時代は、どのような山奥であろうと地図作りは全て人力による測量方式であったことは言うまでもありません。測量の基準となる三角点(標石)も担ぎ上げるところからのスタートです。
 このように近代的な5万分の1地形図づくりは、三角点を設置して、地形図を作製するという本格的な地図作りでした。三角点が地図の要所要所に置かれていることは、正確な地球上の位置(経度緯度)がはっきりと分かるわけです。
 ところが、明治前期において、これとは違った地図作成が行われていました。それがフランス式彩色地図として知られる2万分の1迅速図です。「地図は文化のバロメータ」といわれますが、今から100数十年前の明治前期に目にも鮮やかな彩色地図が作られていたのです。

 全国的な基本測量(5万分の1地形図作り)の実施に先立ち、関東平野のほぼ全域と房総・三浦半島について、明治13年から明治19年にかけて作られた「第一軍管地方二万分一迅速測図原図」は、陸軍参謀本部によって実施された我が国初の広域測量による測量の成果で、近代測量の基礎となった地図です。
 この迅速測図原図は、等高線等による地図表現のほか、水彩絵の具により市街地の状況や田畑が巧みに彩色されており、見た目にも美しく、我が国近代地図作成史上最高の傑作といわれています。

  この迅速測図原図を観察すると、約130年前の土地の景観や成り立ちが鮮明によみがえり、最新版を2万5千分の1地形図と比較すると、近代化された、現在の町並みと歴史的な町並みが鮮やかに対比することができます。
 この地図は、国土地理院に保管されていますが、(財)日本地図センターより復刻販売されていますので、一度見てみたらいかがでしょうか(添付サンプル)?但し、地球上の位置を表す経緯度が表示されていませんので、地図の形で現況と併せるなどする工夫が必要ですのでご注意を!

現在の鎌倉


約130年前の鎌倉
(堀野正勝 記)






     「基本の地図-基本図-」とは?(第9回)


 数多くの地図のうち、地形、水系、交通路、集落など、地表の形態とそこに分布する事物を特にどれに重点をおくということなく、縮尺に応じて平均的に描き表したものを、総称して「一般図」といいます。その中でも、2万5千分の1地形図など国土地理院が発行する一般図は、直接、いろいろな目的に利用できるだけでなく、各種の地図に位置的情報を与えることを考えて正確に作られていることから「基本の地図-基本図-」と呼ばれています。
基本図のいろいろ

 縮尺でみると、2,500分の1や5,000分の1の国土基本図のように、家一軒一軒の形までを正確に表した大縮尺図から300万分の1「日本とその周辺」のように1枚の地図の中に日本全域が収められた小縮尺図まで、いろいろな基本図があります。

 また、地図の作り方でみると、直接現地での測量や空中写真測量によって作られる「実測図」と室内での編集作業によって作られる編集図とに分けられます。

基本図はいつから

 18世紀から19世紀にかけて、カッシーニ一族が正確な測量に基づいてフランス全土の地図を作成したのを始まりとして、ヨーロッパでは、この頃から各国が競って基本図を作成するようになりました。

 我が国では、明治時代に入ってから近代的な測量技術を取り入れた地図作りが開始されました。最初は、2万分の1の地形図で全国を覆う計画でしたが、後に5万分の1に改められました。5万分の1地形図のための全国測量は、大正13年(1924)に完了しました。

国土全土を覆う2万5千分の1地形図へ

 現在、我が国の国土全域をカバーする最も縮尺の大きい基本図は、2万5千分の1地形図です。2万5千分の1地形図は、明治時代の終わり頃に作成が開始されましたが、全国的に作成されるようになったのは昭和30年代に入ってからのことです。最後に残った沖縄県の久米鳥島と東京都の沖ノ鳥島の測量が昭和58年に完了したことによって、それまでの5万分の1地形図にかわって、北方領土等を除いて国土全域をカバーする最大縮尺の地図になりました。

(堀野正勝 記)






     「完全復元伊能図全国巡回フロア展in水戸」を成功させよう!(第10回)


 「伊能忠敬関連資料2345点国宝に答申」というニュース・新聞報道が3月18日飛び込んできました。ここ2,3年このような動きがあったのは承知していましたが、突然の発表でびっくりするとともに、改めて、伊能忠敬の偉業に驚嘆しました。

 2010年は、伊能測量開始210年にあたります。千葉県佐原(香取市)の商人・伊能忠敬は、49歳で隠居後、50歳のとき江戸に出て天文・暦学を修め、55歳の1800年から72歳の1817年まで17年かけて日本全国を実測し、正確で美しい日本地図を遺しました。

 その歩いた距離は地球1周分にもあたり、歩測を中心に正確な距離を測り正確な地図を作成しました。このことから歩きの大先輩として、JWAでも10年前の「伊能ウオーク」をきっかけに、事ある毎に伊能○○と言う行事がでてくるようになりました。


2009年深川会場の様子

 本年も、全国各地で「ウオーク日本1800」や伊能忠敬ゆかりのウオークが計画されておりますが、私たち(堀野は主催する伊能図展中央実行委員会の事務局長です)は、その催しと並行して、伊能大図、中図、小図の原寸大複製を制作し、一堂に展示する「完全復元伊能図全国巡回フロア展」を水戸市青柳公園市民立体育館において開催することを企画しました。

 先覚者・伊能忠敬制作の伊能図を観賞していただくことにより、国家百年の計を実践した忠敬の業績を、子どもから大人まで、かつ北から南まで県下各地から集まった方々に実感していただき、明日を担う子どもたちには伊能忠敬が自分の足で、身体で作り上げた美しい日本の210年前の姿を、大人たちには55歳からの第2の人生をたくましく生き抜いた忠敬の努力と元気を貰っていただき、混迷を極める現代をみんなで乗り切りたいと念願しています。

 会場には、一枚が1m×2m、255枚を体育館いっぱいに広げられ、210年前の日本列島の姿の上を靴下で歩くことができ、1周300mの江戸時代後期の日本の姿を体感頂くことが出来ます。

 茨城県ウオーキング協会では、理事会において機関決定され、このフロア展を成功に導くため中心となって活動することが申し合わされました。会員各位には、物心両面からのご協力と、是非、ご家族おそろいでご来場いただくよう改めてお願いいたします。

 開催概要は以下の通りです。

●開催日時
2010年6月17日(木)~20日(日)

午前9時~午後6時(入場は午後5時30分まで)
※6月17日(水)午前に準備 午後開会式 内覧会予定

●会  場
水戸市青柳公園市民体育館
〒310-0005 水戸市水府町864-6 TEL:029-225-6931

●主  催(依頼先含む)
完全復元伊能図全国巡回フロア展in水戸実行委員会
伊能忠敬研究会 (社)日本ウオーキング協会 社団法人日本測量協会
社団法人全国測量設計業協会連合会 日本土地家屋調査士会連合会
財団法人日本地図センター 財団法人日本測量調査技術協会
日本私立大学協会

●共  催(依頼先含む)
茨城新聞社 茨城土地家屋調査士会 (社)茨城県測量設計業協会 茨城県ウオーキング協会 ほか

●後援(依頼先含む)
国土交通省 厚生労働省 農林水産省 環境省 文部科学省 茨城県
茨城県教育委員会 水戸市 水戸市教育委員会 ほか

 

(堀野正勝 記)




 

     「伊能図」とは(第11回)


 前回、「完全復元伊能図全国巡回フロア展in水戸」の開催(6月17日~20日、水戸市青柳公園総合体育館)について、ご案内しましたが、伊能図そのものについては先刻承知という感じで、全くご紹介しませんでしたので、ここでは、伊能図の概要についてご紹介しましょう。

 伊能図の正式名称は、「大日本沿海與地全図」といいます。伊能測量隊が1800年から17年間をかけて、主に海岸線を網羅的に測量し、日本の沿岸を正確に描いたことからその名がついています。

 伊能図は、大図(縮尺3万6千分の1)214図幅、中図(縮尺21万6千分の1、大図の6分の1の大きさ)8図幅及び小図(縮尺43万2千分の1、中図の2分の1の大きさ)3図幅から成り、実際に測量した線(測線、地図上の朱色の線)とそれに沿って村、町などの地名が記されています。

例:伊能図大図_松江市周辺地図
     

 大図では、村などの地名には集落の家並が描かれ、目立つ建物例えば寺院や神社、城郭などが独立して描かれています。これらは、現代の地図に比べるときわめて絵画的です。城郭には、城主の名前が記載されています。

 村などの地名には領主である大名や旗本の姓名が記されています。記号も使用されており、宿駅には朱の○印が地名の頭に付けられ、天文測量(夜間星などを観測し、正確な経緯度を図った)を行ったところには、朱の☆印が付けられています。また、港・神社も舟形や鳥居の形に記号化されています。

 中図、小図は、大図をベースに編集・描画されたもので、経緯線が記入されていて、経度の基準は京都に取られています。村境、郡境、国境も記号化され、郡名、国名が記載されています。また、著名な山を見通した方位線が多数描かれています。富士山などの山をめぐって多数の方向から見とおしたことが分かります。

 山は、鳥瞰的に描かれており、緑色に彩色されています。河川・湖沼や海は青く塗られており、砂浜と岩石海岸ではその表現に違いがあります。砂浜は黄色く、海食崖はそれらしく描かれています。

 街道の並木や海岸の松並木なども描かれ、200年前の景観が表現されています。

是非、この機会に200年前の国土の姿を楽しんでみては如何でしょうか。

(堀野正勝 記)






     「地図の接合」とは?(第12回)


 普段我々が目にする地形図(2万5千分の1地形図)1枚は、ほぼA2サイズ(59.0cm×42.0cm)の地図用紙に印刷されています。茨城近辺の1枚の地形図面積はほぼ100k㎡(11.2km×9.2km)です。

 このように1枚構成の平面地図を「切図」といい、一般的には、緯度経度や座標値などで地図の区画が決められています。2万5千分の1地形図では、日本列島全体を4,341枚の切図で区画されています。

 もともと日本列島全体を1枚の地図としてカバーすることは、縮尺が大きくなればなるほど困難であることはだれが考えても分かります。結果として、4,341枚に区画し、それぞれを図面単位で地図として作成していくことになります。

 この作成過程で、地図同士の東西南北をつなぎ合わせていく作業を「地図の接合」と言います。一度に全ての図面を同時に作成することは当然できませんので、1枚1枚を隣同士、つないでいくことが必要となるわけです。

 「地図の接合」とは、道路や鉄道、河川などを丁寧につないでいくことですが、一方、単に地図と地図をのりでつなぎ合わせることも接合と言います。この場合には、経線緯線や鉄道、道路などの線状の地物を正くつなぐことがコツとなります。

 古くは、伊能図などにも地図同士を正くつなぐ目印として、当時の磁石をデザイン化した「コンパスローズ」と呼ばれる地図の位置合わせに用いられた接合記号があります。カラフルで目につきやすく、隣同士の地図を正しい位置に接合する、楽しく素晴らしいアイデアであったと思います。

 水戸で開かれる伊能図フロア展に出かけ、この「伊能図の接合記号」である
「コンパスローズ」をぜひ見つけて、鑑賞してみてください。
何か新しい発見があるかもしれませんよ。

     右の画像は「フランスで発見された伊能中図のコンパスローズ」 ⇒

(堀野正勝 記)






     地形断面図の作り方(第13回)


 最近、ウオーキングにおいて「里山を歩く」機会が多くなっています。コースマップをもとに、コースの起伏がどのようになっているのかを知るには、コースの地形断面図を作ることが、視覚的に分かり易いと思います。

 2万5千分1地形図を使って、Y軸に高さ、Ⅹ軸に距離をとったグラフに等高線10メートルごとの高さと等高線間の長さをプロットしていくと地形断面図を作ることができます。

 まずは、直線状の地形断面図を作ってみましょう。用意するものは、地形図と定規です。別添のサンプル図に沿って簡単に作り方を解説します。

①地形図の上に断面図を作りたいところに直線を水平に引く
②①の直線と平行に高度を示した直線を引く
③直線と地形図の等高線が交わった点から、その高度の地点まで垂線を下ろし、高度線と交わったところに印をつける
④印をつけた全ての点を結ぶと断面図の出来上がり

 出来上がった、断面図からは、「等高線の間隔が広いところはゆるい傾斜、せまいところは急な斜面になる」ことが分かります。

 直線状の断面図の作成が理解できたところで、いよいよウオーキングコース上の断面図の作成にチャンレンジしてください。考え方は同じで、コースポイントをこまめにⅩ軸(横)方向に距離をとり、等高線10メートル毎の高さと等高線間の長さをプロットしていけばOKです。

 さあ頑張ってチャレンジしてみてください。

(堀野正勝 記)






     方位(方角)を知ろう(第14回)


 去る7月11日(土)、ひたちなか市で行われた、IWA指導者会主催の指導員スキルアップ研修会で、アナログ時計を使った方位の見わけ方をお話した際に、必ずしも十分に伝わっていない節もありましたので、今回は方位について書くことにしました。

地図と方角
現代の地図では、原則として、地図の上部を北としています。但し、壁や床に対して固定された案内図などでは、設置された方角に一致させることが多いようです。
また、世界には変わり種の地図も結構あります。南半球に位置するオーストラリアなどでは南を地図の上部としている地図が出されています。これは北半球の国々への一種の抵抗みたいなものかもしれませんね。

角度による方位表現
平面上では、北を基準とした角度で表現し、値を読み上げる方法が多く用いられます。この方式では、北を0°=360°として、東を90°、南を180°、西を270°とします。このように決められた水平面内での角度を方位角と呼びます。
天文や測量の世界では、正確な方位が必要なときは、北28度東(N28E)、南15度西(S15W)のように角度で表します。原則として、南北を基準とし、東西方向へのずれの角度を表します。

平面上の分割法
4方位(4点法)、8方位(8点法)、16方位(16点法)などが知られています。日本では、東・西・南・北・北東・南東・北西・南西の8方位が比較的良く使われています。特に、「八方美人」「八方塞がり」などのように「あらゆる方向」という意味で8方位が使われる場合があります。

東洋の方位
東洋(中国を中心とする東アジア)では、昔は十二支による12方位法が用いられていました。それぞれの方位間隔は30度です。

            西    

 地図に係りのあるものとしては、経線(南北線)を表す言葉として「子午線」が使われます。

時計と太陽を使った方位測定
 野外において目標物が存在せず、アナログ時計を所持している場合には、太陽の向きと時計の短針(時針)から方角を割り出すことができます。北半球の中緯度地域の場合、太陽の方向に短針を合わせ、短針と文字盤の12時の位置との二等分角が南を示します。

 南半球の中緯度地域では逆に北を示しますが、北・南半球とも高緯度地域や低緯度地域ではこの方法で正確に方角を割り出すことは困難です。

(堀野正勝 記)






     -図上距離の測り方?-(第15回)


 方位については、前号で話しましたが、今回は地図上の距離の測り方についてお話しましょう。

 実際のウオーキング時には、万歩計やGPS機能付きの計測器などを活用し、実際の距離を計測していますが、事前に地図を用いて計測することも大事です。

図上の距離と実際の距離?
まずは、地図の縮尺を確認しましょう。次に、例えば、2万5千分の1地形図を用いて、地図上の距離を計測する場合には、以下の公式に従って計算をすれば簡単に実際の距離が出ます。
実際の距離(cm)= 地図上の長さ × 地図縮尺の分母 となります。
例えば、1/25,000地形図では、
図上1cm × 25,000 = 25,000cm = 250m
言葉で言うと、図上1cmは実際の距離で25,000cm、つまり250mとなります。

地図上の距離測定の方法?
それでは、地図上での距離測定には、どのような方法があるのでしょうか?
①「身体の一部(指)」を使う
親指の巾(約2cm)、人差し指と中指を軽く開いた間隔(約8cm)などを利用し、図上距離を測る方法です。
②「ものさし」を使う
2地点がほぼ水平で直線の場合は、ものさしで2地点間の距離を測り、地図上のスケールに当てて実際の距離を計る方法です。
③「コンパスやデバイダー」を使う(写真参照)
2地点間が曲がりくねった道は、コンパスやデバイダーで地図上のスケールに両脚を当てて一定の幅(距離)にして計る方法です。
その場合、曲線のカーブが細かいときは狭く、緩やかなときは広く取って、交互に半円を描くように測ることがこつです。
④「キルビメーター」を使う(写真参照)
キルビメーターは直線や曲線どちらでも容易に測ることができます。キルビメーターは垂直に持ち、地図上の測定区間を脱線しないよう下部の車を転がします。上部の目盛盤が回転し距離(cm単位、縮尺別)が出ます。2~3回計測し平均すると正確な距離が測れます。
⑤「IT機能」を使う
近年では、GPS付き携帯や、GPSウオーキング専用機器がお目見えし、それぞれ実際に歩いたコースを地図上に表示する仕掛けが出ています。多くは距離や消費カロリーなどが表示される仕組みとなっています。
また、インターネットサイトでの距離計測も数多く公開されていますので、これらも十分活用されることをお進めします。


(堀野正勝 記)






     -海抜と標高の違いは?-(第16回)


 高さを表す言葉に海抜と標高があります。海抜は海面を0mとした高さを表し、標高は海面を0mとして測量した水準点をもとに出される高さを示しています。結果的にはほぼ同じものと考えてよいかと思いますが、その違いは、低い土地に対して海抜が使われることが多いというぐらいでしょうか。

 日本には現在2万ヶ所以上の水準点が有りますが、その基準となっているのが日本水準原点です。水準原点は東京都千代田区永田町1-1、国会前の庭園内にあります。この地は、かつての陸軍参謀本部陸地測量部が有ったところです。かの映画「剱岳点の記」に出てくる柴崎芳太郎の働いていた陸地測量部です。

 水準原点の高さは東京湾の平均海面を0mの基準としたもので、現在の高さは24.4140mになっています。この高さを基準に全国の水準点へ繋いでいるのです。

 水準点は定期的に測量しなおされています。隆起や沈下によって高さが変わってしまうためです。水準原点も制定当初は24.500mでしたが関東大震災によるズレで修正されたものです。ちなみに全国とは言っても、沖縄や離島の水準点はそれぞれの島の周囲の平均海面を基準にしているため、永田町の水準原点とは繋がっていません。


(堀野正勝 記)





     -地形図と海図の海岸線・標高・水深の考え方は違うの?-(第17回)


○地形図と海図の海岸線?
前回、海抜と標高の違いをお話ししましたが、今回はその続きで地形図と海図(海の船舶航行用の地図)における、海岸線・標高・水深の表示基準の違いについてお話ししましょう。
地形図にも海図にも、陸と海との境には海岸線が描かれています。ところが、海には潮汐(海水の満ち引き)があって、我が国の太平洋岸では、一日のうちに1.5mの海面高の変化を繰り返しています。
それでは地形図の海岸線は、どの時の海面を使っているのでしょうか・・?地形図では、図式(地図を作る時の決めごと)に「満潮時の正射影を表示する」とあり、海図の図式で「略ほぼ最高さいこう高潮面こうちょうめんを水陸の境界線として表示する」と海岸線の表示を規定しています。
これは、地図で海岸線が半日も海に沈んでいては困るので、地形図の場合は「満潮面」を使ったものと考えられます。しかし、地形図作成は空中写真測量によることから、任意の時刻に撮影した空中写真の海岸線をそのまま図化することは、図式的には若干の疑問があります。そのため、干満の差が大きく、干潟のある所は、現地調査時に満潮時の海岸線を補測して表示しています。実際に、干潟が大きくて、潮汐差の大きい九州の有明海(5~6m位ある)などを除けば、主だった干潟の大半は埋め立てや干拓による陸地化が行われ、海岸は人口工作物による護岸等が進んでいる現状では、写真撮影時の形状を海岸線としても問題はないものと考えられています。
一方、海図では「略最高高潮面」の水陸との境を海岸線としていますが、これは潮汐によって、海面がそれ以上高くなることはほとんどない面を想定して図化しているものと考えられています。図式では、明確に規定されていますが、地形図も海図も内容的には大差なく、海岸線の表示基準は、ほぼ同じと考えて問題はありません。

○地形図の標高(高さ)と海図の水深(深さ)?
地形図の標高(高さ)と海図の水深(深さ)の表示基準は異なります。地形図の標高は「東京湾の平均海面」を基準面としています。これは、「東京湾の平均海面」から移された水準点を基に、全国の標高を同一の基準面から測定することを目的としていることからです(但し、離島は除きます。前回のお話し)。
それに対して、海図の水深は「略最低低潮面」を基準面にしています。これは、海図の主眼が船舶の安全航行にあり、海面から海底までの垂直距離(水深)や満潮で隠れた露岩の高さを正確に知ることにより、船舶の安全航行を図るとういう必要性から規定されたと考えられます。

(堀野正勝 記)






     -湖、沼、池の違いは何か?-(第18回)


 つい先日、久しぶりに家内と猪苗代湖から裏磐梯の五色沼散策を楽しんだ。その折り、「湖、沼、池といろいろ出てくるけど、違いは何なの?」と聞かれた。プロとしては、「うんぬん、かんぬん・・・」と説明はしたものの、果たして納得をえられたものかどうか?今回は、そこで、湖と沼と池の違いについて考えてみましょう。
 湖沼等の用語について、厳密に区分して定義するのは難しいと思いますが、近代湖沼学の父と呼ばれているスイスの湖沼学者フォーレル(1841~1912)は、湖沼を専門的に解析して、その深さと水中植物の分布状況から次のように区分しています。
 湖 → 水深が大きく、植物は湖岸に限られ、中央の深いところには沈水植物を見ないもの。
 沼 → 湖より浅く、最深部まで沈水植物が繁茂するもの。
 池 → 通常、湖や沼の小さなものを指し、特に人工的に作られたもの。と区分しています。
 上記の区分による代表的な例として、
 湖・・・琵琶湖、摩周湖、田沢湖等
 沼・・・印旛沼、伊豆沼等
 池・・・満濃池、東郷池等
 などが挙げられます。

 最近では、地域の資源としてのイメージアップから、従来の呼び方に関係なく呼称の変更(沼→湖)が見られますので、詳しく知りたい場合には、旧地名から考察する必要があります。

注 沈水植物:植物体全体が水中にあって、固着生活を営む水中植物。クロモ、エビモ、シャジクモなどがある。
(右の写真は印旛沼)

(堀野正勝 記)






     -比高と岸高の違いは?-(第19回)


 日本国語大辞典によると「比高」とは、「ある範囲の地域内の最高点と最低点との高さの差」と定義されています。
  国土地理院刊行の2万5千分1地形図の図式(地形図作成上の記号の種類、対象の選択基準、表示方法等のルールを決めているものです)では、
1.比高とは、盛土、がけ等と付近の平坦な地表
面との高さの差又は溝等の深さの差をいい、2m以上のものを適宜取得する。

2.図上10cm間隔を標準とし、記載する。 となっています。
  比高は、盛土や崖などの高さを近くの平らなところとの差で表しているということですね。また、溝などの深さは(-)で表すということです。一般的には差が2メートル以上あるときに表示しています。

添付地図の丸印の数字は、すぐ近くの水田から堤防までの高さが6.8mあることを表しています。
 それでは、岸高は、比高とどう違うのでしょうか?同じように地形図図式を見てみると、
  岸高とは、平水時における水面とがけ等の頂部が近接している場所の高さの差をいい、2m以上のものを適宜取得する。 となっています。
表示方法は、4.5のように表示します。

1:25,000地形図 「守谷」
(堀野正勝 記)






     -山地、山脈、高地の呼称と山などの呼び方について?-(第20回)


 国土地理院で使用している山地・山脈・高地の呼称は、主要自然地域名称図(昭和29年、地理調査所:国土地理院の前身の名称)によっています。その定義は以下の通りです。

山地 ⇒ 地殻の突起物を言い、山地・山群・山系・山脈等の内、最も一般的な呼び名で、いくつかの山の集まりが一つのまとまりをなしている地域をいう。

山脈 ⇒ 山地のうち、特に顕著な脈状をなす地域をいう。

高地 ⇒ 山地のうち、起伏はさほど大きくないが、谷の発達が顕著であって、表面の押し並べて平坦な地域をいう。

 上記の呼称は、概ね20万分の1地勢図と呼ばれる比較的広域を包含する地図より小縮尺の地図で使われることとなっています。
特に山地、山脈、高地の呼称は、高さで決められるものではありません。

 「山」の定義は、広辞苑によると「平地より高く隆起した地塊」とあります。
「○○山」、「××岳」のほか、「△△森」等の固有の呼び名で呼称する場合もありますが、これも高さに関係はしていません。
 山の呼び名などは、「現地現称(現地の人がどう呼んでいるか)」により決められるのが一般的です。山の表側と裏側で呼び名が違う場合などがありますので、その時には、正式名称のほか通称名として、○○山(××岳)等と表示されるようになっています。山登りなどに出かけたら、地図で探してみてください。

悪沢岳(東岳)
(堀野正勝 記)






    -都市直下型の地震 ニュージーランド(クライストチャーチ)の地震に思う-(第21回)


  ニュージーランド南島のクライストチャーチ付近で2月22日(火)午前0時51分(現地時間午前8時51分)ごろ、大規模な地震(M6.3)が発生し、滞在中の邦人20数名が巻き込まれた。震源は同市から南東10km、震源の深さは約5kmと推定され、市の中心部にある大聖堂等多くの建物が全半壊しました。

  日本でも平成7(1995)年1月7日に起きた阪神淡路大震災は記憶に新しいところです。これらの地震は、大都市の直下で起きる典型的な「直下型地震」と呼ばれるもので、人口が集中している地域では多くの被害が出ることが心配されています。

  国土地理院では、大都市圏を中心に「都市圏活断層図」というものを数多く刊行しています。なかなか目に触れる機会がないと思いますので、その特徴を簡単に紹介しましょう。国土地理院のHP等にもサンプルが掲載されていますので、一度ご覧ください。

  「都市圏活断層図とは?」

  阪神淡路大震災を契機に、活断層(地面が何万年ごとに繰り返しずれ動いている境目の線)が原因で発生する地震の長期的評価を行うために、活断層の位置、活動の履歴、活動度等に関する調査の必要性が高まり、この都市圏活断層図が作成されるようになりました。

  都市圏活断層図は、活断層の位置を正確に知る資料ではありますが、断層の活動に伴い発生する地震の規模や、予想される揺れの大きさ等を示したものではありません。あくまでも地震調査研究に資するために作成されたものですが、一見の価値は有ります。

  本図の縮尺は1/25,000で、その表示内容には、1/25,000地形図に活断層線の位置やズレの方向、地震断層などの地震に関する情報のほか、段丘面、沖積低地、埋立・干拓地などの地形分類(我々の住む土地の成り立ちなどの地形的性情を表したもの)も合わせて表示しています。

  平成7年以降、現在までに、本図は、首都圏・中部圏・近畿圏のほか政令指定都市を中心に約150面が作成されています。


都市圏活断層図のサンプル(一部)
(堀野正勝 記)






     東北関東大震災(東北地方太平洋沖地震)
         -震度分布図、津波浸水予想図(津波ハザードマップ)-(第22回)


 まさか続けて地震関連のお話になるとは誰もが考えていなかったことと思います。今回の地震はM9.0という地震エネルギーで、超巨大地震(M8前後)と言って良いでしょう。マグニチュード(M)が、0.2違うとエネルギーは倍違うことになりますので、千年に1度有るか無いかと言われるくらいの大地震でした。

  地震のマグニチュードと震度とはよく混同されて使われていますが、如何でしょうか?マグニチュード(M)は、地震規模の大小を示す尺度であって、強いか弱いかの尺度ではありません。強いか弱いかは地震によって生ずる地面の揺れ(振動)を形容する言葉で、それを示すのが震度です。日本では0(無感)からⅦ(激震)までの8段階に分け、さらに最近では+、-(震度5、6を2区分)等を付けて、6強、6弱(多くの人は立っていられない)などと表示しています。

 また、地震と震災とで、名前が違うのはお気づきですか?○○地震という場合は、地震そのものの名前で、気象庁が全国の陸域と海域をブロックごとに区分けし、震源の場所によって、地域の名前を決めてあります。それに対して、××震災とは、陸域部で大きく被害を受けた地域を区分するために便宜的に使われる名称のため、地震名称とは違ってくるわけです(表題参照)。

 ところで、前回お話したニュージーランドの地震は「直下型地震」でしたが、今回の地震は、「海溝型地震」と呼ばれ、地球表面の地殻(プレート)が押し合い、ひずみが解放されたときに発生するタイプです。震源が海洋にあるため、規模が大きいと今回のように揺れによる被害のほか、津波を引き起こすことが多く見られます。

 「津波」は英語でも「TUNAMI」と表記され、世界共通語となっています。今から約50 年前の岩手県大船渡など三陸海岸を襲ったチリ地震津波(H6m)は多くの人々が記憶している災害で、それを契機に津波除けの防波堤(H5m~10m)が三陸海岸各地に設けられましたが、今回はそれをはるかに超す大津波(H15~20m位)で有ったと思われます。

 津波が、陸地のどこまで侵入するかを表した地図が三陸海岸沿岸地方では、「津波ハザードマップ」として整備され、各戸に配布され、津波想定の避難訓練も毎年行われていました。今回は、地震を起こした海底の破壊域は長さ500km(青森・八戸沖から茨城・鹿島沖)と推定され、しかも、大きく3ブロックが連続して破壊する(時間にして5分くらい揺れが続いた)という巨大な地震で有ったため、想定を超える東日本の広範囲に、しかも平滑海岸(仙台から茨城沿岸、千葉・九十九里海岸など)でも津波が襲うという、今までに経験したことの無い大被害になりました。
 被害に遭われた多くの皆さんには、心よりお見舞い申し上げます。
(堀野正勝 記)






     液状化と土地条件図   -地盤の脆弱性は地図に表われています-(第23回)


  東日本大震災から1カ月半余りが過ぎました。北海道から九州まで広い地域で地震活動が活発化しています。我々が住む茨城県は特に多いように感じられます。去る4月16日にも茨城県南部で最大震度5強の地震が起きました。マグニチュード(M)9の巨大地震に誘発されて、余震活動も活発化しているのでしょう。

 ところで、今回の地震で遠く離れた、千葉県の浦安市や、わが茨城県の鹿島市や香取市などで「液状化」により多くの施設やライフライン、住宅、水田等が甚大な被害を受けていることは皆さんもお気づきのことと思います。

  地盤の液状化は、土の粒子の大きさが比較的そろっていて、かつ地下水に満たされた地盤に多く発生します。このような場所では、地震動によって地下水の水圧が急激に上昇し、粒子間の結合がはずれて泥水のような状態になります。これが液状化です。

  液状化が発生すると、砂や水が地上に噴き上がったり、地表面が大きく波打ったり、亀裂ができたり、地盤沈下が生じたり、建造物の倒壊、破損を引き起こします。また、地下の埋設物が浮き上がったり(浦安市のマンホールが1m以上浮き上がった)、使えなくなる(下水道や水道の埋設管が壊滅的状態になった)という被害が生じます。

 液状化の発生は、1964年の新潟地震での噴砂現象を契機にその後の大きな地震について、液状化の発生場所と地形の関係を調べています。その結果によると、噴砂現象は旧河道、後背湿地(大きな川の後ろにできる湿地等)、三角州(河口のデルタ地帯)、砂丘のへりや砂丘間低地等に多発しています。

  問題なのは、これらの古い地形(原地形)に盛土などをして、新たに宅地化されたところ等を知らない間に購入した場合でしょう。浦安市の場合はまさにそうだったのでしょう。写真は、土浦市の水郷公園に見られた液状化現象です。

 地盤の脆弱性は、地図に表われていますので、特に旧版地形図(迅速図等)は原地形を色濃く残していますので、機会があったら我が家の周辺をじっくり見てみましょう。また、これらの地形状態を多色刷りで表した図面に「土地条件図」というものが刊行されています。


水郷公園/土浦市
(堀野正勝 記)






     -第5回つくば国際ウオーキング大会のコースマップづくり-(第24回)


 この6月4日(土)、5日(日)の二日間にわたって、茨城県下で第2番目の全国規模(オールジャパン指定大会)のツーデーのウオーキング大会が、つくば中央公園をメイン会場に開かれ、全国各地から大勢のウオーキング愛好者の来場が予想されています。
 このような大規模な大会にあっては、基本的には、大会参加者が主催者の準備したウオーキング用大会マップを片手に指定されたコースを自由に歩いていただく、いわゆる「自由歩行」を原則として開催されます。
 従って、参加者が、自分の目指すコースを安全かつ楽しく、健康に完歩できることが大会用地図には求められます。勿論、各コース上の主要なポイント(安全誘導上)には、矢張り(コース目印)や安全誘導員が配置されることが重要となることは言うまでもありません。
 これらのことを念頭に置き、次のようなウオーキング大会「コースマップ」調製要領を作成し地図作りを行うこととしました。

1.マップ作成上の条件
 ①印刷図は適当な(持ちやすい)大きさの折り図として調製する。印刷は、両面色刷りとすること(紙
   の大きさ、質等は要相談)。作成枚数は○○枚とする。
 ②基図は、ゼンリン所有の地図データ(25000レベル)又は国土地理院の25000レベル地形図デジ
   タルデータを利用する。既存の25000分1地形図デジタルデータ(地理院から提供を受けたもの)
   を利用する場合は、複製承認番号を新規に申請するものとする。
 ③名所・旧跡等の見所の写真、概説は、第1回から第4回までに作成した内容と新たに準備した
   資料等を活用する。
 ④その他

2.コースマップの基本的用件
 ①スタート・ゴールが明瞭であること
 ②指定のコースが明瞭に区分できること
 ③誰でもが地図を片手に、自由に安全かつ安心して歩行できること
 ④主な見所やトイレ、コンビニなどがはっきりと分かること
 ⑤地点(場所)が明瞭に分かること・・・番号管理?
 ⑥その他・・・出来上がり地図に連番を入れる(22年度同様)

3.コースマップに記載されるべき情報
 ①コース周辺の基図が明瞭に見えること
 ②コース表示が見易いこと(スタート・ゴール、チェックポイント、方向(→)、距離(○○km)・・・)
 ③各コースには歩行順路の表示を入れること
 ④地図縮尺、スケールバー、方位が記載されていること
 ⑤測量法の第29条の許可を受けること
 ⑥コースタイトルのほか、名所旧跡(見所)、トイレ(WC)、休憩所、コンビニ等の情報を記載すること
 ⑦分岐や複雑な場所には、拡大図(コマ図)を、また、横断等危険な箇所の指示(コメント)等を入
   れること
 ⑧緊急連絡先(大会本部)の名称、電話等の記載を行うこと
 ⑨各コースのスタート時間・ゴール最終時間を記載すること
 ⑩認定条件(オールジャパン、ウオーク日本1800、日本の歩きたくなるみち500選、IVV、茨城県マ
   スターウオーカー認定大会等)を記載すること
 ⑪主催・協賛・後援等の機関・会社等の名称を入れること
 ⑫ウオーキングマナー五ヶ条を入れること
 ⑬その他
以上ですが、出来上がりの地図はどうなったでしょうか?
 6月4日、5日のつくば国際ウオーキング大会に是非参加し、コースマップを上記のような視点で眺めていただき、是非感想をお寄せ下さい。

(追伸)
 第5回つくば国際ウオーキング大会のコースマップ作成に当たり、茨城県ウオーキング協会の山元一郎氏、日野勝博氏をはじめ多数会員のご協力により、何回もの下見、準備等を経てこの大会地図ができたことを申し添えます。感謝。

第5回大会コースマップ
(堀野正勝 記)






     -地震で引き起こされた「地盤沈下」災害-(第25回)


 東日本大震災(3月11日)から4カ月になろうとしています。被災地では未だに先の見えない避難生活で、多くの方々が大変な思いをされていることに心からお見舞いを申し上げます。

 ところで、今回の大地震では、今までに例を見ない広範囲での地盤沈下が観測され、この梅雨末期を迎えた今、この地盤沈下地域での浸水被害が心配されています。なぜこのようなことが起こったのでしょうか?

 太平洋の沖合で日本列島の乗るプレートが蓄積した歪を開放し、大きく太平洋プレート側に引き上げられたことにより、宮城県の太平洋側を中心に大きく東へ5,3m移動し、下方へ1.2m沈下したといわれています(地殻変動と言います)。特に宮城県、福島県、茨城県沿岸部の地盤沈下被害が深刻になっています。

 これらの数値は、国土地理院が全国に展開する電子基準点(GPS連続観測点、1200点)で検出された最大の観測結果を示したもので、宮城県の牡鹿半島(宮城県石巻市)で観測された数値です。歪が観測された範囲は広く、北は岩手県の北部から、南は千葉県の房総半島まで、西は青森県から新潟県・富山県付近にまで広がっています。

 別添の2つの地図は、本震に伴う地盤が水平および上下にどのように動いたかを示したもので、上下を示す地図が地盤沈下の範囲を示しています。

 
※各図をクリックすると拡大されます
(IWA会長:堀野正勝 記)






     活断層とは?    -地震発生確率が高まる活断層-(第26回)


 地震に関連するお話しをもう一話。活断層とは、現在でも時々動く断層を言います。
  1995年1月17日午前5時46分、阪神淡路地域は強烈な地震に襲われました。死者6,400名を越える大惨事となったことは記憶に新しいところです。この地震を引き起こした断層が、淡路島西部~神戸周辺にかけて存在していた野島断層という「活断層」で、この事件を契機に、活断層への関心が高まったのも事実です。
  ところで、「東日本大震災による地殻変動の影響で、国内の主要な断層帯で地震が起こりやすくなっている」という話を最近よく聞かれると思いますが、如何ですか。これは、政府の地震調査委員会が、今回の大地震後に発表したもので、「双葉断層(宮城県、福島県)と立川断層(埼玉県、東京都)、糸魚川-静岡構造線活断層帯の午伏寺断層(長野県)の3断層について、将来の地震発生確率が高まる可能性がある」というものです。

 双葉断層は、宮城県亘理町から福島県南相馬市にある断層で、予測ではマグニチュード(M)6.8~7.5程度で、30年以内に起こる地震発生確率は、ほぼ0%と想定され、福島県沿岸部では震度6強以上が想定されています。今回の大地震に誘発され発生確率が高まったとされる双葉断層は、福島第一、第二原発の近くを通ることから、30年以内に起こる確率はほぼ0%とはいえ、近々、再び強い揺れに見舞われることが無いことを願うばかりです。

 立川断層帯は、埼玉県飯能市から東京都府中市にある断層帯で、予測では、規模がM7.4、30年以内の発生確率を0.5~2.0%としており、全国の主要な活断層の中でも発生確率が「やや高い」と位置付けられています。立川市や国立市、羽村市、武蔵村山市などで震度6強の揺れが想定されています。
 牛伏寺ごふくじ断層は長野県松本市と塩尻市付近の長さ約17kmの断層です。糸魚川-静岡構造線の一部とされる牛伏寺断層が活動すると、規模はM8程度で、30年以内の発生確率は14%で、主な活断層の中でも高いグループとされています。つい最近にも、松本市近郊で震度5強の地震が発生するなど、大変心配されています。

 これらの活断層を含め、日本列島には2,000を超える活断層があると言われています。幸にして、我が茨城県下には目立った活断層は無いので、ご安心ください。今回はチョット難しい話になったかも知れませんね。

日本の活断層分布図(地震調査委員会より)
(堀野正勝 記)






     2万5千分1地形図の読み方・使い方   -建物などに使う記号-(第27回)


 長らく東日本大震災に関連し、地震に関するお話をしてきましたが、ここらで地形図の読み方・使い方の基本的なお話に戻ることとしましょう。地震に係るお話は、また何か重大な事象が起きた時にすることにしましょう。
2万5千分1地形図の地図記号については、第6話(2009.12)で地図記号が何故できたのか、地図記号が眼前に広がる地形や風景・家並の配置などを縮尺に応じて表されていることをお話ししました。
これからの何回かは、具体的な「地図記号」の持つ意味、内容を簡潔に解説することとしましょう。それでは、まず最初に、「建物などに使う記号」から解説しましょう。

-建物などに使う記号-
建物などに使う記号は、①建物を表すための記号と②建物の使われ方を表す記号の2種類があります。
①建物を表すための記号は、人間が住んでいる家や仕事をしたりするための家屋などを表し、独立建物と総描建物(建物が密集している地域を総合的に描画したもの)に分けています。⇒ 図-1
②建物の使われ方を表す記号は、その建物の使われ方を表示した方が地図を使うのに便利な場合に、その建物に隣接して記号を表示しています。但し、建物に名前を表示したときには、建物記号は表示しません。⇒ 図-2

-建物記号の表示位置- ⇒ 図-3
上記②で使われる建物記号は、下記のような原則的な表示ルールがあります。
①建物記号は、建物の向きがどんな向きでも、何時もまっすぐになるよう表示します。
②建物記号を表示する場所は、建物が大きければその真中に表示しますが、建物が小さくてその中に表示できない場合には、建物の上に表示します。
③もし、建物の上にほかの重要なものがあって、その場所に記号を表示することができない場合には、建物の下→右→左の順に表示する場所を変えて表します。
地形図を片手に、地図記号を読み、歩行コースの周囲の風景、家並などを想像してみては如何でしょうか。


日本の活断層分布図(地震調査委員会より)
(堀野正勝 記)






     日本の活断層分布図(2万5千分1地形図の読み方・使い方 その2
              -記号と対象物との位置関係を知ろう-(第28回)


 地形図記号の表示方法は、正射影を原則とします。そして記号の下にあるものは表示しないことになっています。但し、等高線と河川などは色を変えて重複表示をしています。このほか、著名な神社、寺院、学校、大工場等については、固有の名称が注記され、記号は省略されることもあります。

 前回(27回)、建物の用途(学校、役場?)などを示す「建物記号」については、その原則的なルールを示しましたので、今回は、その他の記号類について簡単に記載しましょう。地図記号の意味や適用の範囲などについては、記号グループ毎に今後記述しましょう。

 地形図記号には、「建物記号」以外に道路・鉄道等の線状物、三角点・高塔等を示す平面記号や記念碑・電波塔等を示す側面記号があります。

 道路や鉄道などの線状物は原則中心線を真位置に表示するよう努めますが、地形図作成上のルールは、自然的な線状物としての河川・用水路等を優先的に表示し、その後道路・鉄道などの人工的な線状物を表示しています。最近では、コンピュータ時代に入り、道路等が数値化されカーナビなどに使われることなどから、人工物(道路・鉄道等)を優先的に真位置表示する方向に変わりつつあるようです。

 三角点・高塔等は平面記号として描かれ、図に示すように記号の中心点が真位置を示します。三角点の中心点は、正確な緯度経度を示しますので、三角点の記号は、細心の注意を払って地形図上に表示しています。

  また、記念碑や電波塔等は対象物の側面から見た形をイメージし、その真位置は、図に示す通り、下辺の中央部(破線の交点)となっています。記号が、道路の左側か右側か等今度現地で記号の真位置を使って確認してみてください。

(堀野正勝 記)






     2万5千分1地形図の読み方・使い方 その3  -道路の記号について-(第29回)


  道路とは、一般交通用の道路、自動車専用道路および私有道路等すべての道路をいい、通常は記号道路の各種と真幅道路に区分して表現します。

①記号道路
  記号道路とは、道路幅25メートル未満の道路をいい、道路幅に応じた一定の記号幅員により区分します。ただし、街路は除きます。

  4車線以上(13メートル~25メートル)
  2車線(5.5メートル~13メートル)
  1車線の道路 1車線(3メートル~5.5メートル)
  軽車道 軽車道(1.5メートル~3メートル)
  徒歩道 徒歩道(1.5メートル未満)

②真幅道路
 真幅道路とは、道路幅25メートル以上の道路をいい、道路幅を0.1ミリ単位で縮尺化した記号幅員により区分します。
  真幅道路(25メートル以上)

③街路

 街路とは、市街地など建物等が密集している区域の道路をいい、道路幅3メートル以上25メートル未満のものに適用します。

 10メートル以上25メートル未満の道路は、道路幅を0.1ミリ単位で縮尺化した記号幅員により表示します。また、3メートル以上10メートル未満の道路は、記号幅員を0.4ミリで表示します。

  街 路

④有用道路、道路の分離帯など
  有料道路、料金所 有料道路、料金所
  分離帯等 分離帯
  国道等 国道(茶の網点)
  庭園路 庭園路
(堀野正勝 記)






     三角点の緯度経度、水準点標高を改定
      -東日本大震災で土地が移動した?日本の面積も1平方km増加?(第30回)-


  第25回で、先の大地震で、東北を中心に地殻変動により大きく土地の移動があった(最大東へ5.6m、上下に1.6m沈下)とお話しましたが、去る10月31日、国土地理院から公式成果として、その内容が発表されました。

 東北地方太平洋沖地震に伴い地殻変動を観測した地域の三角点と水準点の測量結果を基に、三角点の緯度経度約43,000点と水準点の標高約1,900点の改定値を公表しました。国土地理院の本院をはじめ、東北、関東、北陸、中部の各地方測量部で測量成果の閲覧と謄本の交付を開始しました。

  ウェブサイトの基準点測量成果等の閲覧サービスからも閲覧できますので一度のぞいてみてはいかがですか?ただし、福島原子力発電所周辺30km以内の区域と計画的避難区域の測量成果は含んでいません。

 改定した三角点の緯度経度は全体の約4割で、水準点の標高については約1割にあたります。地震によって生じた最大変動量を見ると、水平方向は宮城県女川町江島の二等三角点「江ノ島」で、東南東方向へ5.85m移動しました。ここ茨城周辺でも、50cm程度の東方向への移動が認められています。

  上下方向では宮城県石巻市鮎川浜の電子基準点付属標「牡鹿」で1.14m沈下したと報じています。この結果が、宮城から福島にかけた沿岸部で、地盤沈下を引き起こすことになった最大の理由です。

 これらの結果、また、日本列島は約1平方kmの面積が増加したとも報じています。今後も、地震関係の情報は折に触れ、お話したいと思います。

(第25回の本震に伴う地殻変動の図参照)

(IWA会長:堀野正勝 記)






     2万5千分1地形図の読み方・使い方 その4  -鉄道の記号について-(第31回)


 鉄道とは、車両の走行のためレールを設けた恒久的な軌道をいい、索道を含めて規定しています。軌道の幅(軌間)の違いによる記号の形の区分はありませんが、日本での一般的な軌間(1.07m)以外のものについては、メートル以下2位までの数字が示されています。
日本での一般的な軌間(狭軌と呼ばれています)は、JR在来線、多くの私鉄及びこれらの路線に乗り入れる地下鉄がこれにあたります。軌間1.067mは、3フィート6インチに由来しており、中途半端な数字もそれ故でしょう。
ちなみに、狭軌以外の軌間として、標準軌、1.435m(4フィート、8.1/2インチ)があり、欧米の標準規格です。日本では新幹線、主に関西の私鉄、路面電車、多くの地下鉄路線で採用されています。東海道新幹線(1.435m)と地図に注記されています。

 (普通鉄道)

  JR線(複線以上)
  JR線(単線)
  JR線以外(複線以上)
  JR線以外(単線)

 (地下鉄、路面の鉄道ほか)
  地下鉄および地下式鉄道
  路面の鉄道
  特殊鉄道
  リフト等

 (駅、側線ほか)
  駅(JR線)
  駅(JR線以外)
  駅(地下鉄および地下式鉄道)
  側線
  建設中または運行休止中の鉄道(JR線)
  建設中または運行休止中の鉄道(JR線以外)
(堀野正勝 記)






     2万5千分1地形図の読み方・使い方 その5 -地形図記号の表示方法?-(第32回)


  地図記号の表示に関しては、いろいろな約束があります。
 地形図に表示する対象物は、それぞれの上方からの正射影(太陽が真上から射した時の影の位置)で、その形状を記号により表示します。例えば九十九里浜のような海岸線は、陸部と水部を区画する水涯線の記号で表示します。ただし、幅員が異なる道路などは、すべてを正射影で表示することが困難なので、図式(地図記号の表示ルール等を定めた規定)で定めた軽車道、1車線、2車線などの記号道路で正射影の位置に表示します(第28、29回参照)。

 しかし、地表のものすべてを表現することは困難なので、市街地で道路が入り組んでいるような場合、幹線道路、地域に密着した道路等重要なものは表示します。しかし、表示することによってかえって煩雑になるような道路は省略するなど適切に取捨選択をして表示します。建物についてもすべて表示できない場合は、形状を損なうことなく総合描示*します。

 これらの対象物は、真位置に表示するのが原則ですが、道路と鉄道、河川などが接近して存在し表示すると記号が重なってしまう場合は、転移(少しずらして表示すること)します。記号の双方をずらして表示するのではなく、どちらを真位置に表示し片方をずらして表示するよう優先順位が決められています。平成14年式図式では、電子基準点・三角点>海岸線、一条河川>道路>鉄道>二条河川・がけ等自然物>建物・構造物等の人工物>植生>行政界・注記等の無形物の順と定められています。道路と鉄道の場合は、道路を真位置に、鉄道を転位して表示することとなっています。

 また、郵便局のように建物の機能を示す記号は、対象物の中央かつ図郭下辺に直立させて表示することとなっていますが、中央に表示できない場合は建物に記号を添えて表示します(第27回参照)。
 表示対象物が立体関係にある場合の表示方法、例えば道路と鉄道は、同色(黒)で表示されるため、上のものだけ表示するのを原則としています。しかし、同色でも道路と送電線の場合は、送電線が道路の上を通っているにもかかわらず、道路と重なる部分は表示しません。

 異なる色で表示されるもの、例えば道路(黒)と地下鉄(茶)は、両方表示することとしています。
 このように、地表の状況を縮尺に応じて正確詳細に図示するため、表示方法の原則を定めています。* 総合描示⇒総描ともいう。地図を作成する際に、対象物の表示にあたり、形状をあまりそこなうことなく、その形の特徴を表す技術的手法を言います。
(堀野正勝 記)






     2万5千分1地形図の読み方・使い方 その6     -植生-(第33回)


植生とは、地表面の植物の種類およびその覆われている状態をいいます。植生は空地、既耕地と未耕地に分けられ、既耕地は一定の間隔で記号を表示し、未耕地は不定間隔で記号を表示します。植生は、植生界及び植生記号で表示されます。
一つの植生の範囲が75m×75m以下又は50m×125m以下の場合には省略することができます。言いかえれば、この基準以上の広がりを持つ植生は、地図上に描かれるということです。

  空地とは、住宅地、庭地、空き地などを言い植生記号はかかれません。既耕地とは、主に耕作して農作物を作る土地をいい、未耕地とは、既耕地以外の植生が育成している土地を言います。

 既耕地の分類は、田、畑、桑畑、茶畑、果樹園、その他の樹木畑に区分されます。
また、未耕地は、広葉樹林、針葉樹林、竹林、ヤシ科樹林、ハイマツ地、笹地、荒地に区分されて描かれます。なお、未耕地間の植生界は、原則として描かないことになっています。

 並木なども上手に描かれる仕掛けになっています。並木や、防風林等は、幅50m未満で、長さが250m以上のものは、植生記号のみを2.0mm間隔で描くことになっています。

(堀野正勝 記)






     -3・11東日本大震災に思う-(第34回)


 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)から早くも1年が過ぎました。復旧・復興が叫ばれて久しいですが、その歩みは遅々として進んでいないようにも見えます。この大地震がどのような内容、規模であったのか、地図という視点から、今一度振り返ってみましょう。
地震は、2011年3月11日(金)14時46分、牡鹿半島の東南東約130km付近(三陸沖)の深さ約24kmを震源とする海溝型の地震でした。その震源域は、東北地方から関東地方にかけての太平洋沖で、幅約200km、長さ約500kmという広範囲で、地震の規模を示すマグニチュードは9.0でした。地震のエネルギーはマグニチュード0.2で約2倍となりますから、関東大震災(1923年、M7.9)の約45倍、兵庫県南部地震(1995年、M7.2)の約1450倍のエネルギーであったと推定されます(第22回参照)。

 地震によって大きな津波が発生し、宮城県の仙台空港付近では最大6kmの内陸まで浸水し、岩手県三陸南部、宮城県、福島県浜通り北部では、津波の高さは8m~9mに達し、1896年・明治三陸地震の津波(38.2m)を上回る最大遡上高40.5m(岩手県宮古市)を記録するなど、震源域に近い東北地方では、高い津波が甚大な被害をもたらしました。津波は我々が居住する関東地方の太平洋岸でも多大な被害をもたらしたほか、環太平洋沿岸を中心に世界各地の海岸にも達しました(第22回参照)。

 また、岩手県から千葉県にかけては震度6弱以上を観測するなど広範囲で強い揺れとなり家屋の倒壊や、屋根瓦の崩落など多大な被害をもたらしました。特に、関東地方の埋め立て地等で大規模な液状化現象が発生し、また、東北太平洋海岸では、地盤沈下による浸水被害がもたらされました(第23回、第25回参照、付図・震度階参照)。

 津波、液状化、建造物倒壊など、被害の大半は東北の岩手県、宮城県、福島県が占めましたが、茨城県、千葉県の5県を含め、この地震による死者、行方不明者は計約1万9千人を超えています。

 また、原子力発電施設被害による大規模停電や一連の震災により、工場停止などにより日本全国及び世界に経済的な二次被害がもたらされています。さらに、地震と津波による福島第一原子力発電所事故が発生し、放射性物質漏れによる汚染が起きているほか、日本の他地区における原子力発電所の再稼働問題や電力危機なども発生しています。

 今一度、3・11東日本大震災を思い起こし、これからの日本の立ち位置を考えてみるのも重要でしょう。地図から見えてくる多くの情報を今一度ご覧になって考えを巡らせてみては如何でしょうか。チョット難しいお話となったことをお詫びします。

(堀野正勝 記)






     日本の位置と高さの基準は今どうなっているのか?         
           -日本経緯度原点と日本水準原点のお話-(第35回)


 東日本大震災から早くも1年が過ぎ、復旧・復興のつち音が遅々ではあるが、聞こえるようになってきました。これらの復旧・復興には正確な測量とそれに基づき作成された多くの地図が活躍していることは皆さんもお分かりのことと思います。

 これらの正確な測量は、地球上の位置(経緯度)を表す三角点や高さ(標高)を表す水準点などを使用して実施されています。この三角点や水準点は国土地理院により全国に約13万点設置され維持されています。この三角点や水準点は大変重要な役割を果たしているのです。

 地球上のどこの場所かを示す手段として経度、緯度が使用されています。日本の位置を表す測量の出発点が、「日本経緯度原点」で東京都港区麻布台2-18-1(ロシア大使館の裏手)にあります。

 また、日本の土地の高さ(標高)は、東京湾の平均海面を基準(標高0m)として決められています。この高さの出発点が、「日本水準原点」で東京都千代田区永田町1-1(国会議事堂前庭・尾崎記念会南側)にあります。この日本水準原点の標石に埋め込んだ水晶版の目盛0の線が東京湾平均海面上の高さ(大地震前は、24.414mでした)を示しています。

 平成23年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に伴い、日本経緯度原点及び日本水準原点の移動が確認されたため、国土地理院は、平成23年10月21日、これらの原点数値を以下の通り改正しました(第30回、平成23年12月号参照)。

  ●日本経度原点
東経「139度44分28秒8759」 ⇒ 「139度44分28秒8869」に改正
北緯「35度39分29秒1572」 ほぼ変化なし
* 具体的には、原点位置が東へ30cm程度移動した
● 日本水準原点
東京湾平均海面上「24.4140m」 ⇒ 「24.3900m」に改正
* 具体的には、原点標高が2.4cm下がった

 
  日本経緯度原点
(東京都港区麻布台2-18-1)
  日本水準原点
(東京都千代田区永田町1-1)
 
(堀野正勝 記)






     -第6回つくば国際ウオーキング大会と竜巻被害に思う-(第36回)


  本大会の第1日目のスタート及びコースとなっていますつくば市北条地区は、去る5月6日の竜巻で死者1名(大会協力校・東中学の生徒さん)を含む住宅の倒壊など大きな被害を受けました。まずもって、心よりのお悔やみとお見舞いを申し上げます。

  ところで、第6回つくば国際ウオーキング大会は、全国ウオーカー及び茨城県内住民につくばの魅力を知っていただくとともに、つくば市民のメタボ予防改善に有用なウオーキングに親しんでいただくことを目的とし開催しますが、加えて、この度の災害に負けないで元気を出していただくよう「竜巻被害復興支援ウオーク」としました。IWA会員の皆さまにも是非、復興支援へのご協力方よろしくお願いいたします。
この「地図のお話」のコーナーを通して、昨年3月11日の東日本大震災を契機に、災害(主に地震)にまつわる地図のお話を何回かしましたが、竜巻も災害の一つで、このところ大きな竜巻が頻繁に日本列島を襲っているのをご存知ですか?最近では2006年11月の北海道佐呂間町(日本で3番目に大きな湖サロマ湖沿岸の町)を襲ったF3レベル(Fは竜巻の強さ、3段階は日本では過去最大級の強さ、別表参照)の竜巻が有名ですが、私の住む土浦市宍塚を襲った竜巻(F1、2009年10月)も茨城県内では大きな被害となりました。つくば市北条地区を襲った竜巻の被害範囲は、幅500m、長さ15kmで、F2と推定されています。

  災害に係るマップの世界では、このような災害が発生すると、直ちに航空写真を撮影し、災害の概要をつかむのが一般的に行われています。その後、航空写真からの被害判読結果と、現地調査の結果とを併せて、被害の広がり・規模などを解析し、「災害現況図」が作られます。今回の竜巻被害でもほぼ同様の調査が行われ、復旧・復興の資料として航空写真や災害現況図が提供されています。

  今回被災のつくば市北条地区は、日本の歩きたくなるみち500選にも選ばれているつくば道の起点として、古い街並みの重要伝統的建造物が数多く残る町です。残念ながら今大会では、コースを一部変更することとなり、参加者にはこの古い街並みをご覧いただくことはできませんが、一日も早い復興を願わずにはいられません。

  第6回つくば国際大会が成功することが、日頃お世話になっている北条地区の人々への元気の発信源となることを信じて頑張りたいと思います。また、本大会が、今後も継続的につくば市及び周辺市町村において、健康促進を目的にウオーキングが益々盛んに行われるよう、その一助となることを祈念したいと思います。
最後に、本大会はサイエンスと自然が共生する田園・研究学園都市つくばの文化、環境、自然などにふれるコースとなっています。全国並びに県内各地からご参加の皆さまには、つくばの新緑と科学の風を感じて、楽しく歩いていただければ幸いです。
(堀野正勝 記)






     -第6回つくば国際ウオーキング大会のコースマップづくり-(第37回)


 この6月2日(土)、3日(日)の二日間にわたって、茨城県下で第2番目の全国規模(オールジャパン指定大会、KKML指定大会)のツーデーのウオーキング大会が、つくば中央公園をメイン会場に開かれ、全国各地から大勢のウオーキング愛好者の来場(1800余名)がありました。
 このような大規模な大会にあっては、基本的には、大会参加者が主催者の準備したウオーキング用大会マップを片手に指定されたコースを自由に歩く、いわゆる「自由歩行」を原則として開催されます。
 従って、参加者が、自分の目指すコースを安全かつ楽しく、健康に完歩できることが大会用地図には求められます。勿論、各コース上の主要なポイント(安全誘導上)には、矢張り(コース目印)や現地誘導員が配置されることが重要となることは言うまでもありません。
 これらのことを念頭に置き、前回第5回大会のアンケート結果や、現地誘導員等の意見を踏まえ、第6回ウオーキング大会「コースマップ」の作成を行うこととしました。

1. 前回コースマップへの反省点
① 基図は、国土地理院の25000レベル地形図デジタルデータを利用し、できるだけ主要な道路(圏央道など)は修正・加刷する。
② 名所・旧跡等の見所の写真、概説は、第1回から第5回までに作成した内容と新たに準備した資料等を活用し、より見易いものとする。
③ AEDの所在地点を記載し、参加者の安全に配慮する。

2. 参加者からのコースへの要望
① つくば道の急坂はウオーキングにはきついので、う回路などを検討してほしい。
② 2日目の万博記念公園コースには、是非、公園を楽しめるコースとしてほしい。
③ 10kmコースは筑波山が望める逆ルートの方が良いのではないか? など

3. 上記1.2.を踏まえ検討した「新たなコース」は
① Aコース(30km)・Bコース(20km)を筑波山神社まで、無理なくゆっくりと登っていくコースへと変更する。
② Eコース(25km)・Fコース(20km)を休憩・昼食場所として万博記念公園を一周するコースへと変更する。
③ 地図上に見どころの写真による案内のほか、ビューポイントなどと表記し、周囲の景観を楽しんでいただくよう配慮する。
④ AEDの設置個所(公的機関)をコ―スに沿い一覧表示するほか記号化し地図上に明示する。
 
(追伸)
 第6回つくば国際ウオーキング大会のコースマップ作成に当たり、茨城県ウオーキング協会の、日野勝博氏をはじめ大会実行委員会・事業部の多数会員のご協力により、何回もの下見、準備等を経てこの大会地図ができたことを申し添えます。感謝!
(堀野正勝 記)






     水害から身を守るためにチョット勉強をしてみよう(第38回)
                   -治水地形分類図-


  「これまでに経験したことの無いような大雨」という表現を気象庁は初めて使った今回の豪雨は、数日間で7月の平均雨量を軽く超える地域が相次ぐなど、過去の1時間雨量の最大値を超える地点が続出しました。
  気象庁は、この度の梅雨末期の大雨被害を「平成24年7月九州北部豪雨災害」と命名しました。この豪雨による被害は、福岡、熊本、大分など九州北部地域の山間部を中心に河川の決壊やがけ崩れなどが発生し、死者・行方不明者は30数名に達しました。

  こういった水害から身を守るためには、土地(特に氾濫域)の性状とその変化の過程や地盤の高さなどを知っておくことが大事です。現在住んでいる皆さんの家の周辺の地形を今一度チェックしてみてください。

  「治水地形分類図」は、治水対策を進めることを目的に、国が管理する河川の流域のうち平野部を対象として、扇状地、自然堤防、旧河道、後背低地などの詳細な地形分類と堤防や堰などの河川工作物などが盛り込まれた地図です。

  昭和51年の台風17号による長良川の破堤で大きな被害を受けたことを契機に、昭和51年度から53年度にかけて調査が実施されたもので、近年になり、洪水防御用のハザードマップの基礎資料としてあるいは地盤調査の基礎資料への利用の有用性から、広く一般にも利用に応えるため、平成17年8月から公開されています。
  初期に整備された地図は、既に30年以上経過していることから、近年、見直し更新に着手しており、更新した治水地形分類図についても、順次公開されています。是非一度国土地理院のHPをリサーチしては如何でしょうか。

  氾濫平野は、河川の氾濫によって形成された平地で、主に水田に利用されていて洪水被害を比較的受けやすく、建物の立地には注意が必要です。

  自然堤防(かつて洪水時は流路外に運搬堆積した粗粒物で、周囲の低地より50cm~1m程度高い土地)には、地盤高線から読み取れるように氾濫平野より相対的に地盤が高く、比較的洪水の被害を受けにくいため、古くから集落や畑に利用されており、建物の立地に適しているといえます。

  旧河道(かつての河川の流路)は、相対的に地盤が低く、現在は主に水田に利用されていますが、比較的洪水の被害を受けやすく、一般には、地下水位が高いことから地盤も軟弱であるため、建物を建設する際には注意が必要です。

  治水地形分類図を読み取ることで、洪水や地盤災害に対する危険性を定性的に把握できます。是非一度、本地図を参考に自分の家の周りを観察してみてください。
(堀野正勝 記)






     2万5千分1地形図の読み方・使い方 その7   -特定地区-(第39回)


 特定地区とは、他の地区と特に区別する必要のある地区をいいます。特定地区は、その状況に応じて定められた記号、又は特定地区界及び注記(文字)により表示されます。記号を特に定めていない飛行場、牧場、公園、ゴルフ場、スキー場、競技場、養殖場、演習場、大学等の演習林等は、その境が明らかなものについては、特定地区界を取得し名称などの注記(文字)を表示することとしています。
 特定地区界は、特定地区の形状又は輪郭を表示します。その大きさは75m×75m以下又は50m×125m以下のものは省略します。鉄道や道路、河川等により境界が明らかな場合には当然表示しないこととなっています。
 防風林や屋敷森等で囲まれた居住地を「樹木に囲まれた居住地」という名称で周囲を特定地区界で囲み「内部を黒の網点」で表示します。古くからある農村の集落などに多く、遠くから見え、大変良い目標となります。
 墓地などは、一定の広さ(75m×75m以上)を持つものは、横5.0mm立て2.5mmで鱗形に墓地の記号を配置します。牛久大仏のある牛久浄苑等がその例です。
 自衛隊、工場、発電所等、温泉、噴火口・噴気口、採鉱地、採石地、城址、史跡・名勝・天然記念物、湊(重要港、地方港、漁港)などがこれらの仲間になります。
(堀野正勝 記)






     -国土地理院の電子国土基本図(地図情報)とは-  (第40回)


 長く親しんだ国土地理院の「地形図」(紙地図)の地図記号を中心に、「地図の見方使い方」を折々に記載して来ましたが、会員から最近のインターネットによる地図情報の利活用について情報提供いただきたいという話が来ましたので、簡単にご紹介していきたいと思います。

 今回は、まずは、従来の地形図(紙地図)に代わる新しい電子地図としての「電子国土基本図(地図情報)とは何か」について概要をお話しましょう。

 電子国土基本図(地図情報)とは、道路、建物などの電子地図上の位置の基準である項目(平成19年5月制定の法律、基盤地図情報の取得項目)と、植生、崖、岩、構造物などの土地の状況を表す項目とを一つにまとめた電子データと定義されています。

 電子国土基本図(地図情報)は、縮尺レベル25000精度に限定することなく、より精度の高いものを含んだ我が国全域を覆うベクトル形式の基盤データで、これまでの2万5千分1地形図に替わる新たな基本図と位置付けられるものです。

 国土地理院のホームページで、電子国土基本図(地図情報)を検索すると、最新の全国の電子地図が閲覧できますので、まずはのぞいてみてください。縮尺レベル25000をクリックすると、筑波の国土地理院が目に入ってきます。スクロールや、距離計測等もできますよ。
(堀野正勝 記)






     -国土地理院の「最新の2万5千分1地形図の
              インターネット刊行」について- (第41回)


  国土地理院が、インターネットを経由して最新の地形図(画像データ)を購入することができるサービスとして、「電子地形図25000」の刊行を、今年の8月30日より、北海道地域の地図より新たに開始しました。残念ながら茨城県は来春頃になりそうとのこと。

  その概要について、ご紹介しましょう(記者発表記事より)。

  電子地形図25000は、購入時点における、国土地理院の最新のデータをもとに作成しますので、道路の開通や土地の開発などによるデータの更新が反映された、日々新しい地図として入手することができます(従来の紙地図刊行は、3,5,10年といった刊行サイクルが地図の変化度に応じて決まっていた)。
また、電子データの特徴を生かし、送電線・記念碑・植生界等の表記を行うかどうかなどを利用者自身が選択することができるようになりました。これらを全て表記すれば従来の2万5千分1地形図(印刷図)とほぼ同様の内容が表示されることになります。

  さらに、インターネット上で購入する際に、入手したい地図の中心、画像のサイズ(A2、A3、A4)、縦長又は横長を指定することができます。また、出力形式の選択(PDF、JPEG、TIFF)や、一部の地図項目(鉄道、等高線等)に付いて表現方法の選択ができます。
  入手したデータは、コンピュータで見るほか、紙に出力・印刷して利用できます。値段は1画像当たり170円で、(一財)日本地図センターから購入できます。
(堀野正勝 記)






     -「美しい日本の歩きたくなるみち500選」マップガイド
        『東京・神奈川・千葉・埼玉45コース』が刊行される(第42回)-


 美しい日本の歩きたくなるみち500選は、2004年(平成16年)に発表さ
れた日本の美しいと認められた道500コースで、ウオーキング愛好者に非常に認知度の高いウオーキングコースです。

 社団法人日本ウオーキング協会により選定が提案され、国土交通省、NHK、全国地方新聞社連合会、共同通信社の後援を得て発足した
「美しい日本の歩きたくなるみち推薦会議」によって発表されたものです。
 これまでに、数社からコースを紹介する本が出されて、多くの人が500選コースにチャレンジしてきましたが、一人で地図や本を片手に歩ける適当なものがなく、多くは社団法人日本ウオーキング協会(JWA)や各県ウオーキング協会の主催する大会、各クラブの例会等に参加し、その一部として楽しんできた例が多かったかと思います。
 地図を片手に、仲間や家族、時には一人でゆっくりと歩きたいと言う希望が多く有りましたが、やっとこの度、その期待にこたえられる内容のガイドマップができたかなと思います。

 新500選ガイドマップは、地図のゼンリンが、JWAの全面協力のもと作成・刊行にこぎつけたもので、足かけ3年余りの準備を経て、去る10月26日に発売となりました。第1弾は、東京、神奈川、千葉、埼玉より改定2コースを含む45コースが収録されています。

 歴史とともに歩く寺社・史跡めぐりや自然あふれる里山・花の名所・水辺など、四季折々の見どころが織り込まれ、季節によってさまざまな表情を垣間見せる珠玉のコースが収録されています。
 それぞれのコースマップ上には、観光名所や花スポット等の見どころを写真とコメント付きで表記しています。また、コース上の曲がり角・坂道・トイレ・休憩所などが明記され、トイレ・休憩所・写真スポットは分かりやすいアイコンで表記されています。

 また、「癒す」「食べる」「買う」「憩い」というテーマで各コース合計180カ所の「ご褒美スポット」をコースマップ上と詳細情報ページ上で紹介しています。
 さらに、効果的なストレッチや安心・安全に歩くためのグッズ等をウオーキングナビページとして紹介しています。

 今後、首都圏エリアを皮切りに、来年3月には近畿圏エリア、その後順次ブロックごとに、年2から3地区を対象に4年をかけて刊行する計画です。ちなみに茨城県は、2014年(平成26年)に刊行が予定されています。
 是非、500選ガイドブック「見ても楽しい、歩いて楽しく・健康に」をモットーに全10冊を揃えてご活用いただければと思います。
(堀野正勝 記)






     電子国土を使ってみよう
             -インターネットで閲覧できる地形図-(第43回)


  近年、急速な発展を見せるIT(情報技術)は、地図の世界にも、様々な変化をもたらしています。道路地図や路線地図など、インターネットの地図情報サービスがその一つでしょう。地図を参照するだけではなく、ドライブルートや交通機関の経路を探索したり、旅の情報を利用者同士で共有できるなど、多彩な機能が提供されています。

  これらの地図情報サービスのほとんどは、スマートフォンに代表される携帯端末でも利用できるようになっています。
インターネットによる地図情報の利活用については、第40回と41回で関連情報を掲載し、その一端を紹介しました。ここでは、まず電子国土の活用について改めて紹介しましょう。

  全国をカバーする地形図は、以前から国土地理院の「地図閲覧サービス(ウォッちず)」で見ることができましたが、国土地理院が推進する「電子国土Webシステム」では、さらに文字や図形の入力、画面のプリント等の機能が利用できるようになっています。

画像をクリックするとPDFが開きます
 
  電子国土は、まだ試験的な部分もありますが、「欲しい地形図を購入するのに時間と手間がかかる」「コースが複数面にまたがると使いにくい」といった紙地図の不便さを解消してくれる期待が有ります。
  現在のところ、従来の紙地図に置き換わるものとは言えませんが、ウオーキングや山歩きで使う地図としての利用価値と実用性は今後、ますます高まるものと思います。
(堀野正勝 記)






     2万5千分1地形図の読み方・使い方(その8)     -地形(第44回)-


  地形とは、陸部および湖底等の起伏の状態をいい、がけ、岩等を含めて規定されています。
  地形は、等高線、等深線によって表現するほか、これらによって表現することが困難、または不適当な場合は、がけ、岩等の記号を用いて表示します。
  なお、湖底等の地形については、国土地理院が行う基本測量によって作成された湖沼図に基づいて表現されています。

  等高線とは、東京湾の平均海面から高さの等しい点を結んだ地図上の線をいい、等深線とは、水深の等しい点を結んだ地図上の線をいいます。ただし、湖底等の地形を示す等深線は、各湖の基準面(水面標高)からの、水深の等しい点を結んだ地図上の線をいいます。

  等高線および等深線は、主曲線、計曲線、補助曲線に区分して表示します。主曲線は、10mごとに表し、特に50m毎の主曲線を計曲線と呼びます。また、緩傾斜地又は複雑な地域等で、5m毎あるいは2.5mでその特徴を表現するために補助曲線を取得することとなっています。

              図-1に地形断面図と地形図の関係を示します。
(堀野正勝 記)






     2万5千分の1地形図の読み方・使い方(その9)    -境界(第45回)-


  2万5千分1地形図に描かれる「境界」とは、行政界(行政区画の境)、所属界、植生界(異種の植生等の境)及び特定地区界(他の地区と特に区別する必要がある地区)をいいます。

  行政界とは、行政区画の境をいい、都道府県界、北海道の支庁界、郡市・東京都の区界及び町村・政令市の区界に分類されます。所属界とは、海部又は行政界未定の湖沼内において、島等の所属を示す境界をいいます。
これら境界の表示基準の主なポイントは以下の通りです。
・ 関係の市区町村間で境界が確定していない場合には、尾根等の地形変化部、河川等の水部に仮の行政界を取得するものの、属性(市区町村の境)は表示しないこととしている。
・ 行政界は、原則として真の位置を取得し、道路や河川の中央を通る場合は、任意の位置に転位して表示することとなっています。
・ また、海部の行政界は表示しませんが、その代わりに所属界によって表示することとなっています。この所属界は、海部又は行政界未定の湖沼内において、島名等の所属を示す境界線をいいます。表示形は、それぞれの境界記号を一つおきに描くこととなっています。

  植生界とは、種類の異なる植生領域の界線をいいます。一般的には、植生界で囲まれた内部に植生を示す地図記号が描かれます。

  また、他の地区と特に区分する必要がある区域を、特定地区界で表示します。墓地や樹木で囲まれた居住地等は決められた記号で表示し、特定地区界で囲みますが、一定広大な区域を持つ飛行場や牧場、公園、ゴルフ場等でその境が明らかな区域には、特定地区界を表示し、文字などでその用途を表示することとなっています。

  境界の仲間は、地図上には記号で境が示されていますが、現地では線が引かれているわけではありません(市町村境で名称が表示されることは有りますが)ので、要注意です。

(堀野正勝 記)






     2万5千分1地形図の読み方・使い方(その10)
             -道路や鉄道に関係する各種の記号(第46回)-


 道路や鉄道記号については既にお話(その3、その4)しましたが、橋や高架部、トンネルや立体交差、切取部や盛土部といったものはどのように表示されているのでしょうか?

 道路や鉄道の橋及び高架部は、その長さが20メートル以上のものは原則表示することとなっています。但し、道路と鉄道等が立体交差する部分の橋や著名な橋は、基準以下でも表示するようになっています。

 トンネルとは、道路、鉄道等の塚の通路をいい、原則としてすべて表示します。トンネルの長さが50メートル(図上2mm)以下の場合は、地下の経路を示す破線は原則として省略します。トンネルの出入り口には、坑口(洞口)の記号を表示します。

 切取部とは、岩石や土砂を切り取って道路や鉄道を通した部分をいいます。盛土部とは、土砂を盛った上に道路や鉄道を通した部分をいいます。
 
(堀野正勝 記)






     -2万5千分1地形図の地図記号の由来いろいろ(第47回)-


  10回にわたって2万5千分の1地形図の地図記号の表示形態、その意味、表示基準等を中心にお話をしてきましたが、それぞれの記号には、その形になるまでのいわれが有ります。象形文字は、いろいろな事物を象徴的な形で表した文字であり、そこには「由来」があります。地図記号の中にも、事物を象徴し、由来を持つものが数多くあります。

  例えば消防署(地図記号:消防署)は、火消の刺さす股またを図案化しています。裁判所()は立て札(高札)に由来し、郵便局()は、かつて「逓信省」と呼んでいた頃の「テ」の文字の名残です。神社()は鳥居、寺院(卍)のまんじは、梵語で吉祥の表象です。

  田畑や果樹園では、田()は稲の切り株、畑()は野菜が芽吹くときの二葉の形、果樹園()は果実をそれぞれ表しています。

  ところで、工場()と発電所・変電所()はよく似ていますが、何に由来するのかご存知ですか?答えは、工場は、動力を伝達する歯車を、発電所は、歯車と電鍵の組み合わせからなっています。

  地図の記号化は明治時代に入ってから飛躍的に進展してきました。この次に地図を見た時には、この記号の基になったのは何かな?と考えてみるのも楽しいですよ。
 
 田の記号は、稲(いね)、蓮(はす)、い草、わさび、せりなどを栽培している水田をあらわしています。稲(いね)を刈(か)り取ったあとの形を記号にしました。
(堀野正勝 記)






     -2万5千分1地形図の読み方を間違えないポイント(第48回)-


  10回にわたって2万5千分の1地形図の地図記号について、表示形態、その意味、表示基準等を中心にお話をしてきましたが、それらの記号類を上手に読み、活用するポイント考えてみましょう。

(地図を頼りに歩くポイント)
地図を頼りに歩く時、迷わず目的地に到達するには「比較的地図と現場が照合しやすい場所や目標物」を図上で選んでおき、その付近に来た時に確かめることです。
 選ぶ場所や目標物には、山頂や峰(ピーク)、鞍部、がけ、切通し等の地形的特徴をとらえて確認することがあります。また、道路の交差点や橋、市街地の高層建物、山間地におけるダムや滝、堰など明瞭な地物があります。さらに建物記号としては、役場や神社、寺院、学校などの活用です。その他送電線や石段なども分かりやすい目標物です。
なお、地図を頼りに歩く場合には、次のことに留意してください。
① 1/2.5,000地形図の場合、等高線間隔は10mなので、比高が10m以下の凹凸や鞍部は表示されません。
② 水路や谷川は、長さ250m、幅1.5m未満の小さなものは省略することがあります。
③ 比高が3.0m未満、長さが7.5m未満のがけは省略することがあります。

(地図上留意すること)
① 地図は一般に「北」が上に作られていますが、読図では、何も地図の北を上にして見る必要はありません。状況に応じて南を上にしてもかまいません。要するに、地図を見易い向きに廻してみてください。
② 記号類は、何も無理して暗記する必要はありません。必要な時は、地形図の記号欄を見て確かめれば良いことです。自然と覚えられますから・・・。
③ 地形図を求められる場合は、いつ現在で作られた地図であるかを知ることが大切です。地図の"鮮度“を知るには、記号欄の図歴に記載されている「測量年又は修正年」と「現地調査年月」を確かめましょう(後述)。
④ 地形図をぼんやりと眺めるのも良いですが、できることなら、見る対象をあらかじめ決めて見ることを勧めます。例えば「道路や鉄道や河川に沿ってとか」、「同一標高の等高線を追いかけるとか」、「その土地の生産活動(田んぼか畑かなど)を見るとか」、自然条件や生活条件を踏まえ環境や歴史を考察するなど、問題を絞って地図を読むことで楽しみが増します。
⑤ 1枚の地形図は経緯度で区画されていることから大抵の場合、情報は分断されることになります。従って、必要とする範囲がカバーされるように地形図をつなぎ合わせる必要も生じます(特に紙地図の場合)。

(測量と発行のタイムラグ)
地図の宿命として"現在地図“は厳密な意味では存在しません。ということは、新刊地形図が刊行されるまでの過程を考えると、測量・現地調査の終了時の測量原図は"現在地図”になりますが、これ以後の製図・印刷・発行までの期間とユーザーが使用するまでの期間にはタイムラグがあり、この期間内に変化があれば、正確には"現在地図“とは言えなくなります。このため、地形図には、○○年測量、○○年○月現地調査という情報が記載されています。ところで、一般によく言われる"最新地図”は現在発行されているうちで最も新しいという意味で、「最新」=「現在」ということには限りません。

(堀野正勝 記)






     -地形図から傾斜(勾配)を求めるには(第49回)-


  1/25,000地形図の等高線を測って、土地の傾斜を求めることができます。
 例えば、図1のBからA地点への傾斜角度(θ)は・・・?いくらになるでしょうか?
計算式:θ=AB間の比高/(AB間の長さ×縮尺)
    θ=20m/(2cm×25,000)
     =20m/500m=1/25 ≒ 2°20′
 この傾斜1/25を度数で表したいときは、底辺25cm、高さ1cmの直角三角形を作り、斜辺と底辺の夾角を分度器で測ればよいわけです。または、三角関数
表の正接(tan)の欄から求めることができます。

-等高線間隔で傾斜(勾配)の概略を知るには-
 等高線は一定の高度毎に描かれていますから、傾斜が急なところは間隔は狭まり、緩いところは広くなります。したがって、等高線の混み方(粗密)によって傾斜の緩急が読み取れます。図2は,1/25,000地形図と等高線の傾斜区分尺を対比したものです。
丘陵や、里山などのウオーキングでは、大いに参考にしてください
(堀野正勝 記)






     地形図の等高線から地形を読む    -尾根と谷の見分け方(第50回)-


  早いもので、「地図のお話」を書き始めて(2009年7月号より)、50回目になりました。特にこんなに長くなるとは考えてもいませんでしたので、なんとなくスタートし、振り返ってみるとあまり統一性が無いまま、書き進んできたように思います。

  基本的にはウオーキングのコースマップ作りに、又コース地図を上手に使っていただけるように、少しでも役に立てばと思いスタートしました。地図とは?といった地図の原則に始まり、地形図の読み方・使い方の基本、地形図から見えてくる地形の話、地震や河川災害に係る地図の役割など、思いつくまま綴ってきました。会員の皆様には、少しは参考になっているでしょうか?
  いつまで続くか分かりませんが、今しばらくお付き合いを頂ければと思います。

  今日の本題は、前回に続き地形図の等高線(コンター)に関わるお話です。地形(特に山地や丘陵地)を理解するうえで、尾根筋(凸線)と谷筋(凹線)はとても重要です。最近のウオーキングでは、軽登山を含む、里山や丘陵地を歩くことが結構あると思います。そのような時に、これからお話することを頭に入れておくと大変理解し易いと思います。
  凸線(付図上の実線、稜線or分水線:降水が分岐し流れる線)は、地形図上に示された等高線の山の高い方から低い谷側に向かって、等高線が張り出した先端部分を結んだ線です。凹線(付図上の破線、谷線or合水線:降水が集まって流れる線)は、低い方から高い方に向かって、等高線が食い込んだ先端部分を結んだ線を言います。この凸線、凹線を地性線と言います

  この凸線、凹線などの地性線を描き込むと、尾根筋や谷筋の向きや形状が捕え易く、山登りの時等には必ずと言って良いほど、使われています。付図を参考に、手持ちの地形図に地性線(凸線:尾根線、凹線:谷線)を引いてみてください。歩きなれたコースの尾根筋や谷筋の景色が見えてくると思います。
(IWA会長:堀野正勝 記)






      -傾斜地の斜面距離を求める方法は?(第51回)-


 最近、ウオーキングのスタイルが多様化し、丘陵地や山間地のトレッキングやハイキングを楽しむ方々が増えてきました。平地のウオーキングは、市街地や、都市近郊の比較的平たん地が多く、地形の標高差による、負担(疲労)は少なく、比較的容易に歩くことができます。

 しかし、ひとたび丘陵地や山間地では、標高差による負担がぐっと増え、予想以上に時間を取られることとなります。基本的には、傾斜の度合いによって時間は相当違ってきますが、目安は、平地の1.5倍から2倍の時間を見ましょう。

 今回は、このような場合の参考となる傾斜地の斜面距離の求める方法を考えてみましょう。1/25,000地形図のA地点からB地点の実距離(斜面の直線距離)を求めるには、図解的に求めることができます。なお、上り、下りの屈曲のある登山道などの実距離はその道に沿った断面図を作図して、その頂の線の長さを測れば求めることができます。この場合、この断面図の高さの縮尺は、基図の水平縮尺に合わせて作図をします(2010年7月号参照)。

 例えば、地形図上でA地点~B地点の長さが5cm、A地点の標高が100m、B’地点の標高が600mあった場合、標高差はB’-A=500mとなります。方眼紙上に、横軸に線分A、B=5cmを描き,b点を通る縦軸に500×1/25,000=2cmをとりB’点とし、A点、B’点を結びます。線分A、B’をスケール(物差し)で量れば5.4cm、これを25,000倍すれば、実距離(約1,350m)が求められます。

また、B、B’の比高がわかれば、ピタゴラスの定理を用いて計算することもできます。
(堀野正勝 記)






     地図上の現在位置を知ろう     -図上位置を知る方法-(第52回)


 山の中で、道に迷ったらどうしますか?「わかる位置まで戻ること」が鉄則です。やみくもに谷へ向かったり、わからぬまま尾根を目指したりしたことはありませんか?

 地図上で自分の現在位置を、できるだけ正確に知る(求める)方法として、次の読図方法があります。
① 一番近い明瞭な地点(途中で通過した山頂、鞍部、道の交差点等)からの距離と方向から推定します。道路や尾根を歩いてきた場合は、これだけでかなり正確な位置を知ることができます。
② 磁石によって地図の方位を合わせ、遠方の目標物(山頂、道路の交差点、川・谷の合流点、送電線等)を3個以上確かめます。
図のように同じ方向線上のものは、1本の鉛直線上に上下に並んで見えることから、これで現在位置を確かめます。この場合1方向のみでなく、2ないし3方向で確かめることが大切です。3つの山頂部を使い位置を確かめる方法を三座法と言います。
③ 等高線や尾根の形あるいは付近の道路や目標物によって、位置を確かめることができます。この場合、地形図には総描(建物や道路を縮尺に応じて取捨選択して簡略化する方法)や省略があり、特に目標物等は、位置が転移されている場合があることも頭に入れておきましょう。

 また、1/25,000地形図上では、特別な地点(基準点など)を除いては、20m~30m以内の精度で位置を求めることは難しいと考えてください。
(堀野正勝 記)






     伊豆大島「土石流災害」に思う -ハザードマップを今一度確認しよう-(第53回)


 10月16日(水)の未明、大型で強い台風26号による豪雨で、伊豆大島の元町地区では、大規模な土石流(大量の雨水により山体の一部が土砂崩れをお越し、土砂や岩塊、樹木を根こそぎ下流へ押し流す現象です)が発生し、死者・不明を合わせると50名を超える大災害となりました。

  今回の災害は、国内でも2番目という、300mmを超す3時間雨量が、大島火山の特有な地形と連動して、もたらされたものと思います。元町からは有名な観光地となっている御神火茶屋へと続く、観光ルートがあり、まさにそのあたりで発生しました。

  この地域は、1986年(昭和61年)の大噴火を起こした三原山(758m)の西方に位置し、岡田港と並ぶ重要な港としての元町港や大島町役場があります。土砂崩れを起こした地点は、溶岩の堅い地層の上に、火山灰が降り積もった地形で、この火山灰の部分が大雨による水分を持ちこたえることができなくなり、崩れたものと思われます。

  以前もお話(第50回)しましたが、崩れた土砂は、周囲の土砂・岩石・樹木を巻き込み、低い谷地形に沿って一気に下り降りることになります。もちろん、周囲の住宅なども大きな樹木等が激突すればひとたまりもありません。

  こういった現象は、特に火山地域に多く発生し、最近では、雲仙普賢岳や、木曽の御嶽山などでも発生しています。我々の居住する、茨城県には、そのような心配はあまりありませんが、急な崖を背負うような住宅地では、同様な崖崩れが発生する恐れがありますので、十分注意が必要でしょう。

  以前、地震時のハザードマップ(自然災害による被害の軽減や防災対策に使用する目的で、被災 想定区域や避難場所・避難経路などの防災関係施設の位置などを表示した地図)についてお話したことがありますが、改めて、水害時や、豪雨時に気を付ける地図として、水害や土砂災害に係るハザードマップ(浸水危険個所や崩壊危険個所等を周知する地図)が作成されている場合がありますので、機会がありましたら、地元の市町村へ尋ねてみるのもよいでしょう

       
(堀野正勝 記)






           フィリピン大災害は他人事ではない 
            -ハザードマップを考えよう(その2)-(第54回)


 11月だというのに超大型の台風30号による強い風(90m超/秒速)と高潮に襲われたフィリピンでは、国民の8人に1人が何らかの災害を受けるという大災害となりました。特にフィリピン中部の被害は甚大で、被害地では各国の支援が本格化するなど、救援活動が連日報道されています。死者・行方不明者は17日現在で5000人に達しています。特に高潮災害により、家屋が壊滅した地域が多く、また、その被害範囲も広く、救援が急がれています。

  このような高潮災害は、日本でも昭和34年の伊勢湾台風が代表される大災害として、専門家の間では知られています。当時の中日新聞には、「地図は悪夢を知っていた」という大きな見出しが出て、今でもその図柄は鮮明に記憶に残っています。この「地図は悪夢を知っていた」という新聞の見出しが示すように、国土地理院(当時は地理調査所)では、土地の成り立ち、性状を示す「土地条件図(当時は、水害地形分類図と言っていた)」の作成を、名古屋を中心とする濃尾平野で昭和31年に実施していたのです。低地の微地形の状況を把握しておくことが、水害の受けやすい場所、受けにくい場所を知るうえできわめて有効であることを示したわけです。この調査では、水害(高潮を含む)と地形がきわめて密接に関係することを明らかにしました。

  みなさんの周囲の景況は如何ですか?旧河川敷であったり、低い土地に盛り土などをして住宅地としていませんか?地形図でもこういった場所は十分に観察することができますし、国土地理院発行の土地条件図などを活用することで、自分の家の周りを再度点検してみてはいかがでしょうか?

             
(堀野正勝 記)






     今年の干支は「午年」 -「駒ケ岳」という山の名称が多いのは何故?-(第55回)


 あけましておめでとうございます

  ところで、今年の干支は、「午」ですネ。中高年のわれらの仲間は、72歳あるいは、ちょっと若くなって一回り下の、定年を迎える方々ではないでしょうか?今回は、初春ということでもあり、干支の午(馬)にちなんだ地名の話題としました。

  国土地理院で使用している山地・山脈・高地などの呼称は、主要自然地域名称図(昭和29年:地理調査所(国土地理院の以前の呼び名))により、決められていますが、山の名称は、現地の呼び名により、標記されるのが原則となっています。

  ところで、「山」の定義は、広辞苑によると『平地より高く隆起した地塊』とありますが、山の名称としての「○○山」「××岳」などの固有名称は、山の高さ(標高)などには関係なく、前述のとおり地元で呼ばれている名称が、地形図上に示されています。時々、「○○山(△△岳)」などと表記された山名を見かけることがありますが、この様な場合には、山頂を挟んで表側と裏側で呼称が違うことを示しています。

  今回の話題の馬にちなんだ山名で、結構多いものに「駒ケ岳」があります。「山の雑学ドリル」(山と渓谷社)によれば、国土地理院の地形図に掲載される「駒ヶ岳」は18と言われています。ちなみに国土地理院技術資料(平成14年4月発行)の「日本の山岳標高一覧 -1003山-」によれば、2500m以上の「駒ヶ岳」は、8座となっています。

  それでは、何故「駒ヶ岳」という山名が、付けられたのでしょうか?理由の一つに雪形があると言われています。季節が春になり、雪解けが進むと、山肌に「馬」の姿が現れ、農耕の始まりを示すことから、「駒ヶ岳」とつけられたと言われています。

  今一つは、日本の古くからの農耕に欠かせない馬、その背中に似た形の山から「駒ヶ岳」の名がついたとも言われています。多くの駒ヶ岳は、二つのピークを持ち、間の鞍部にまたがれるような形をしているように見えます。木曽駒ケ岳も遠くから見ると、そのように見えますし、北海道の大沼湖畔にたたずむ駒ヶ岳も同じように見えます。

  干支にちなんで、今年は「駒ヶ岳」ハイキング(ウオーキングの一部ととらえて)を楽しんでみてはいかがでしょうか。

              
               大沼公園と北海道・駒ヶ岳
(堀野正勝 記)






     地理院地図」が正式公開   -国土地理院が提供する地図サイト-(第56回)


   昨年秋に茨城県ウオーキング協会主催による認定スキルアップ研修会(会場:国立茨城工業高等専門学校)で「ウオーキングマップ作成の基礎知識」という講座(山本国雄先生)を開催し、その折にインターネット上より、国土地理院の電子国土基本図を背景図として活用しましたが覚えておられるでしょうか?

  この度(平成25年10月30日)、従来の「電子国土WebNEXT(試験公開)」が「地理院地図」として正式に公開となりましたので、そのポイントをご紹介しましょう。

① サービスの内容を簡潔に伝える目的から、名称を「電子国土WebNEXT(試験公開)」から「地理院地図」として正式に公開となったこと。
② これまで「電子国土ポータル」から提供されていた情報を整理して、地図を表示する「地理院地図」のページから各種情報に一元的にアクセスできるようになったこと。
③ 利用規約を整理して「地理院タイル利用規約」とし、これまでA4サイズを超える印刷については制限がありましたが、A3サイズまで可能となったこと。
等が主なポイントです。

  正式公開と同時に「地理院地図」から、治水地形分類図、火山基本図、20万分1土地利用図、磁気図などの地図情報が新たに閲覧できるようになりました。

  国土地理院のHPトップ画面の地図画像「地理院地図(電子国土Web)」をクリックすると地理院地図が開きます。国土地理院のHPを是非覗いてみてはいかがでしょうか。

        
                             (国土地理院広報より)
(堀野正勝 記)






      「日本のへそ(重心点)」はどこでしょう?(第57回)


 日本列島には、いわゆる「へそ」と言われる地点が多く、それぞれの地域の思惑で楽しくなるようなものが公表されています。例えば、日本の標準時子午線の通る兵庫県西脇市の北緯35度、東経135度や、秋田県大潟村の北緯40度、東経140度などが日本の「へそ」と名乗りを上げています。

  国土地理院では「日本の市区町村位置情報要覧(平成7年度版)」によって、日本の市区町村別に位置情報を公表しています。この中で「重心点」という用語で、全国の都道府県市区町村のいわゆる「へそ」の位置を経緯度で公表しています。

  この重心点は、国土地理院が基本図数値情報の海岸データと行政界データを用いて測定したものです。これは、平面とみなした国土の質量中心を計算によって求めたもので、紙でできた日本地図を海岸線で切り抜き、バランスを取った地点といったところでしょう。

  日本の重心点は 北緯 37度30分52秒
             東経 137度42分44秒

  ちなみに、この地点は能登半島の珠洲岬東方の海上32㎞で、海の上が「重心点」になります。海中深くモニュメントを設置するわけにもいきませんので、同地点に最も近い陸地である石川県珠洲市禄剛崎(ろっこうさき)に「日本列島のまん中の碑」が設置されています。

  なお、「重心点」については、この他にも様々な社会的データ等をもとに、いろいろな機関や団体が求めています。例えば、「日本の人口重心」なども計算されていますが、統計の度に重心が移動することから、位置が定まらないのが悩みの種とか?他にも面白いものが沢山有りそうですね。

             
(堀野正勝 記)






     国土地理院の地図の利用手続について(第58回)


 最近、国土地理院の地形図や、公的機関、民間地図の利用についての問い合わせがありましたので、基本的な考え方についてお話しておきましょう。国土地理院が運用している内容について簡単にポイントを示します。

  まず基本は、不特的多数の者に配布するような場合(古河の花桃ウオーキング大会やつくば国際大会等)には、必ず国土地理院に地図の利用手続きが必要です。測量成果の複製(測量法第29条)に該当し、国土地理院の承認が必要です。

  インターネットからワンストップサービスで申請もできますが、申請書類を簡単にダウンロードできますので、内容を記載(記載方法及び注意点等も国土地理院HPにあります)し、国土地理院(本院担当課又は、最寄の地方測量部の担当)へ提出すれば、承認が取れます。印刷屋さんが代行してくれることもありますので、よく相談してみましょう。

  続いて、承認が必要ない場合について、質問の内容に沿い記載してみます。
Q1.クラブや少人数でのコース図に地形図を使いたいが?
A1.私的に利用する場合は、承認を得ず利用が可能です。また、社内、サークル、同好会等においてのみ利  用する場合も、申請は不要です。
  但し、A3程度の範囲まではコピーOKかと思いますが、出典を明示するのが礼儀でしょう。
Q2.地図に新しい道を入れて使いたいが?
A2.まったく問題ありません。できるだけ必要な新しい情報は入れましょう。
Q3.地形図をチラシやパンフレット等に利用したいが?
A3.これも問題ありません。刊行物等に少量の地図を挿入する場合は、承認の必要はありませんが、出所の  明示は必要です。
  以上については、公的機関、民間地図もほぼ準じた取り扱いをしていると思います。
  また、何かありましたら、国土地理院の担当に聞いてみましょう。

  (参考) 申請・問合先
  国土地理院 地理空間情報部 情報企画課 審査係
  〒305-0811 茨城県つくば市北郷1番
  TEL:029-864-4150(直通) FAX:029-864-8285
  e-mail:fukusei@gsi.go.jp
(堀野正勝 記)






     ウオーキングコースの歩行距離の決定方法について(第59回)


 最近、標記のような質問がJWAにありましたので、以下のようなQ/A方式で回答しました。IWA内にあっても役に立つはずですので、参考にしていただければと思います。

Q1 ウオーキングライフ誌に記載する各歩こう会が主催するウオークについて、JWAとして決められた歩   行距離の算出方法はあるのでしょうか?
A1 ウオーキングコースの歩行距離の算定方法については、現在、以下の方法が適宜行われているものと   思います。

 (実踏によるコース距離測定の方法)
① 回転式の距離測定器(通称コロコロ)を使って、実際のコースを測定して決める方法。
② GPSを携帯して、実際のコースを歩いて決める方法。
③ 歩数計を身に着けて、実際のコースを歩いて決める方法。
 (図上計測によるコース距離測定の方法)
④ 地図上をキルビメータを用いてコースをなぞり距離を算出する方法。
⑤ 地図上のコースルートをなぞることによって、コンピュータソフトによりコース距離を算出する方法。 
などが考えられます。
  JWAとしては、できるだけウオーカーが「正しい実距離(地球上の正しい長さ)」と感じられる距離となっているよう、研修等を通し、指導していますが、この方法で行ってくださいと言った決め事はありません。
  現在、JWA事業部等で行っている方法としては、①25,000分1地形図(数値データ)や10,000分1地形図(数値データ)を活用した、コンピュータ計測による数値を用いる方法。②としては、回転式の距離測定器(通称コロコロ)により、実距離を測る方法が行われています。

①の地形図による計測は、始点と終点が、固定されれば、縮尺による誤差が多少でることを考慮すれば数値はキチットでます(25,000分1地形図では、0.1mmが2.5mですので、10mオーダーであれば問題ないでしょう)。
  GPS(比較的高精度なもの)を用いて行うこともあるようですが、歩数計での計測は個人差が多いようで、あまり活用はなされていないようです。

  キルビメータによる図上計測は、概査的に活用されているようです。
   
Q2 各歩こう会が主催するウオークについて、特に決められた歩行距離の算出方法が無い場合でも、国際   マーチングリーグや日本マーチングリーグ、エリアリーグなどJWAに認定された各地のウオーキン   グ大会の歩行距離の決定方法はIWA(IML)やJWA(JML)で決められた方法があるのでしょうか?
A2 上記のとおりで、特段の決まりはないようです。IVVなどでも、「実際に歩いた距離を記載する」と   言われているだけで、運用は各国に任されているのが実情です。

Q3 歩行コースに山道がある場合、山道の下見時の歩行時間1時間を4kmに換算して歩行距離を出してい   る例を聞きましたが、これはJWAで認められたことでしょうか?
A3 山歩きは、平地と違って、傾斜を伴いますので、標高差100mに対して20分程度の時間を加味する必   要があります(堀野の経験値)。この場合には、平地の平均速度を4kmとすれば、時速3km弱と考える   のが妥当でしょう。
  JWAでは、これについても特段の決めはありません。

以上のような整理をしましたが、皆さんのご意見はありますか?
(堀野正勝 記)






     「地理院地図」表示用の「避難所等の地図記号」を決定(第60回)


 平成26年4月、国土地理院は、昨年改訂された災害対策基本法に基づいて指定された緊急避難場所や避難所を「地理院地図」(国土地理院がインターネットで配信している地図)などで分かり易く表示するための地図記号を新たに定めました。

 今後、避難所等の位置や種別に関する情報を収集し、「地理院地図」で順次公表していく予定です。
 平成25年に災害対策基本法の一部が改正され、平成26年4月から、市町村において新たに緊急避難場所や、避難所を指定・更新することが定められました。緊急避難場所については、災害種別ごとに定めることとされています。

 これに伴い、国土地理院では、内閣府(防災担当)と協同し、避難所等の経緯度情報を取得し、「地理院地図」や内閣府の総合防災情報システムなどで広く閲覧・活用できるようにしていきます。
 今後、身近な地域の「地理院地図」にもこれらの情報が掲載されることとなりますので注視してください。
               
(堀野正勝 記)






    ゲリラ豪雨に気を付けよう!-洪水ハザードマップを知っていますか?-(第61回)


 今年の梅雨は、6月5日の降り始めから7日夕刻までの総雨量が300㎜から400mmを超す地点が関東地方を中心に多発し、その雨量は、多くの地点で平年の6月1か月分を上回っています。神奈川県下では、がけ崩れや土砂流出が起き、東京都八王子市では自宅近くの護岸が削られたりして、多くの住民が避難しました。

 特に最近では、温暖化の影響か?ゲリラ的に豪雨をもたらす傾向が見られ、天気予報を充分に注意・分析していくことが必要となっています。翌週の14日ごろには、お隣の栃木県宇都宮市で雹を含む、ゲリラ豪雨が発生し、市街地において床上浸水が発生しました。

 国土交通省が主導して、各県の各市区町村が「洪水ハザードマップ」を作成しているのはご存知でしょうか?(関連記事IWAニュース2012年8月号第38回、治水地形分類図)

 最近では、前述のように、ゲリラ的な集中豪雨等による水害が頻発していますが、出水時の避難行動を的確にとっている人が少なく、堤防が決壊するなど命の危険があります。避難が必要なのに避難しなかったため、ヘリコプター等による救助されるケースが後を絶ちません。

 洪水ハザードマップは、地域の水害のリスクだけでなく、地域に応じた避難行動の在り方などを的確に伝えることができ、洪水時に住民の円滑かつ迅速な避難を確保するうえで有用な資料となっています。

 この洪水ハザードマップは、全国の約95%の市区町村が整備されていますので、茨城県下にあっても概ね整備されています。自宅に配布されたマップがある場合は、ぜひ一度改めてご覧になってみては如何でしょうか。また、もし見つからない場合には、住所の市区町村のHPで「洪水ハザードマップ」を検索すれば見ることができます。

           
            (上下とも水戸市「洪水ハザードマップ(南部)」より)
           画像をクリックすると、大きな画像を見ることができます
             
(堀野正勝 記)






     「第27回 完全復元伊能図全国巡回フロア展」のご案内
             -中央区まつり 伊能忠敬居住200年-(第62回) 


 50歳を過ぎてから、地球一周分の約4万㎞を歩き、初めて日本の国土を実測して日本地図(大日本沿海與地全図・通称:伊能図)を作ったのが、日本人なら誰でもが知っている伊能忠敬です。

  伊能忠敬は中高年の星、我々の愛するウオーキングの元祖、史上最大の旅行家でもあります。伊能忠敬は決して天才ではなく、若いころから学を好み、世のため人のためと心がけ、まじめに実直に根気よく測量し、地図を作った努力の人と言えるでしょう。

  伊能忠敬が江戸に出て、居住した場所が、江東区の富岡八幡宮(地下鉄東西線「門前仲町」下車)近くの深川黒江町であったことは、比較的良く知られていますが、終焉の地はあまり知られていないように思います。
  伊能忠敬は、第八次測量(九州北部を中心に帰路近畿地方を測量)を終え江戸へ戻ると、江戸での居宅を深川黒江町(江東区)から八丁堀亀島町(中央区)へ移し、「地図御用所」としました。伊能忠敬69歳、文化11年(1814)の時でした。

  その後、文政元年(1818)四月十三日(太陽暦では5月17日)、伊能忠敬は73歳で八丁堀亀島町の自宅で死去しました。伊能図が完成する文政四年(1821)まで、伊能忠敬の喪を秘して天文方の下役、門弟たちを中心に地図制作が続けられました。
  *IWAニュース第10回(2014,5月号)、同第11回(2014,6月号) 参照
  平成26年(2014)は、伊能忠敬が八丁堀亀島町(中央区)に居住し、地図御用所としてスタートした、丁度200年目にあたるわけです。

  この度、この縁で、「中央区まつり 伊能忠敬居住200年」第27回完全復元伊能図全国巡回フロア展を下記の通り開催することとなりましたので、まだご覧になっていない方は、この機会にぜひご覧いただければと思います。

  大きな体育館一杯に、一枚がほぼ畳一畳分の大きさの伊能大図(縮尺3万6千分の1)214枚(パネル総数は255枚)で作られた、ほぼ210年前の日本全図は正に圧巻です。今シリーズで関東エリアでの催行は、今回が最後となりますので、お見逃しの無いように!

*堀野が会場に詰めますので、お声をおかけください。ご案内します。」
     -伊能忠敬居住200年 第27回 完全復元伊能図全国巡回フロア展-
会期:2014年8月28日(木)~31日(日)  *入場料は無料です
28日(木)13:00~19:00、
29日(金)9:00~19:00、
30日(土)9:00~17:00、
31日(日)9:00~16:30
会場:中央区立総合スポーツセンター(都営地下鉄新宿線浜町駅下
車 A2出口徒歩2分
(堀野正勝 記)






     天災は、忘れたころにやってくる  -他人ごとではない竜巻被害-(第63回)


 平成26年8月10日に鹿沼市及びその周辺地域で竜巻が発生し、多数の建物が全半壊するなどの大きな被害が発生しました。 竜巻や突風は、季節を問わず発生する可能性がありますが、予測が難しいのが現状です。被害は、鹿沼市から栃木市までの南北およそ7.5キロのほぼ直線上に点在していて、宇都宮気象台は、竜巻が起きた可能性もあるとみて、11日午前から現地に職員を派遣して、被害の範囲や当時の状況などを調査しました。
  添付の写真は、11日午後、たまたま所用で現場近くを通過した際に車中より撮影したもので、左側にブルーシートで屋根を覆った建物が、右側には高木が倒れ、撤去中の作業車が見て取れます。10日にも同一道路を通過しようとしましたが、既に規制線が張られ通過は不可能でした(写真参照)。

  竜巻は、我々の住む茨城県下でも2009年10月の土浦市宍塚地区で、また2012年5月にはつくば市北条地区で発生し、大きな被害をもたらしています。特に、北条地区は「美しい日本の歩きたくなるみち」500選にも選ばれ、つくば国際ウオーキング大会のメインのコースとなっていることから、大きく影響を受けていることは皆さんご存知の通りです(IWAニュース、2012年6月号に関連記載)。

  このように、天災(災害)は忘れたころにやってきます。しかし、普段からの備えで、災害から身を守ることはできます。いつ何時起きるかもしれない「自然災害(竜巻・突風)」に備え、自宅周囲の地形(風の通り道)や家屋周辺の樹木(高木や枯れ木)の確認、ハザードマップなどによる避難場所(安全な場所の確保)の確認など、日ごろから身を守る安全を心がけておきましょう。

注:今回のタイトル「天災は忘れたころにやってくる」という名言がありますが?
  この言葉は、戦前の物理学者(東京帝国大学(現東大)教授、理化学研究所研究員・東京帝国大学地震研究所所員兼務)、随筆家、俳人として知られる「寺田虎彦」の随筆「天災と国防」(昭和9年)の中にある文章を、弟子の中谷宇吉郎が要約したもので、「寺田先生が防災科学を説くときにいつも使われた言葉」として紹介され、広く知られるようになったと言われています。寺田虎彦は、夏目漱石とも親交が深く、漱石の作品「吾輩は猫である」の水島寒月や、「三四郎」の野々宮宗八のモデルとも言われています。

  寺田虎彦の弟子・坪井忠二は、戦後、現国土地理院と深く関わり、地震と重力の関係を解明し「日本の重力分布図」を作成するなど活躍した地球物理学者(昭和38年東大教授退官)でした。

        
                    鹿沼市周辺の竜巻被害   
(堀野正勝 記)






     陸地測量部(現国土地理院)の地図が、わずかにコーヒー一杯の代価で買える
               -「寺田寅彦の名言」第2弾-(第64回)


 前号で寺田寅彦の名言「天災は忘れたころにやってくる」についてお話ししましたが、今回は、寅彦の地図に係る名言の第2弾です。
  「陸地測量部(現国土地理院)の地図が、わずかにコーヒー一杯の代価で買える」との名言が、寺田寅彦の随筆「地図をながめて」に記されていますが、なぜ、寺田寅彦はこんな風に思ったのでしょうか?

  寺田寅彦(1878-1935、満57歳没)は、戦前の物理学者(東京帝国大学(現東大)教授、理化学研究所研究員・東京帝国大学地震研究所所員兼務)、随筆家、俳人として知られています(IWAニュース-地図のお話-第63回参照)。寺田寅彦は地球物理学分野の自然科学者でありながら、科学と文学を調和させた随筆を多く残しており、こういった観点からも今、再評価されています。

  その随筆の一つに「地図をながめて」という小作品があります。「当世安いものを列挙するとしたら、その筆頭にあげられるものの一つは陸地測量部の地図、中でも五万分一地形図などであろう。・・・」と冒頭の書き出しに出てきます。

  寺田寅彦は、地球物理学者として、地震や防災研究に五万分一地形図(今なら二万五千分一地形図では?)を頻繁に使っていたのではないでしょうか?そのような中から「地形図の価値はその正確さによる」と寺田寅彦は陸地測量部の地形図を高く評価したのでしょう。

  寺田寅彦は、この随筆の中で、日本の陸地測量部の地形図製作に従事している人たちのまじめで忠実でものをごまかさない精神が素晴らしい。そして、三角点の選点に始まる測量作業の艱難辛苦についても、その作業手順に沿い、やや専門的に記述しています。

  陸地測量部というと、小説や映画「剣岳点の記」で有名な技師「柴崎芳太郎」や「舘潔彦」を思い起こしますが、当時の測量隊は、測量官(技師1名)の他に技手(1名)、測夫(6~10名)でグループを作りテント生活をしていました。

  現在でもつい最近まで、このような測量編成をしていましたが、この時に大変重要なのは、測夫の熟練が測量の成果を左右することです。寺田寅彦は、「地図をながめて」の中に、日の当たる測量官ではなく、現場の作業員の重要性をしっかりと述べています。

  それだけの手間暇をかけて作成された地形図が「わずかコーヒー一杯の代価で買える」とは、と讃えているのです。現在も、地形図は@278円と廉価です。明治以降の多くの測量官、測夫(今は測手という)の苦労の上に、今の地形図があることを今一度考えてみていただければ幸いです。

  注:前号で寺田虎彦と記しましたが、読者から「寅彦」が正しいはずとご指摘いただきました。今号で訂正しお詫びいたします。

                 
(堀野正勝 記)






     -御嶽山の火山噴火災害に思う-(第65回)


 長野、岐阜県境にある御嶽山(標高3067m)が9月27日午前11時53分頃噴火しました。今回の噴火は、2007年3月以来で、7年ぶりでした。10月15日現在で、死者56人、安否不明者7名の大惨事となってしまいました。3000mを超す山としては比較的登り易いことと、紅葉シーズンに入り多くの登山客で賑わっていたことがあったかもしれませんネ。

 国内の活火山は110を数えますが、気象庁等が常時監視している火山は約半数の47火山にすぎません。この「活火山」の定義は、過去1万年以内に噴火した火山等を言います。古くは富士山(1707年、宝永噴火、江戸まで降灰)、浅間山(1783年、天明噴火、死者1151人、江戸まで降灰)などがあり、最近では、有珠山(2000年、住民避難)、三宅島(2000年、全島避難、ガスの大量発生)、霧島山・新燃岳の噴火(2011年)などが記憶に新しいところです。

  国の対策としては、火山噴火予知計画に沿い、2007年からは気象庁が噴火警報を出すところまで来ました。先にも述べた通り、現在では御嶽山を含む主要47火山を24時間体制で監視しています。

  予知の成功した代表例に、2000年3月の北海道・有珠山の噴火があります。この時は、火山性の微小地震などの異常、GPS観測網による地殻変動のキャッチなどを読み取り、住民約15000人を避難させ、人的被害は出ませんでした。わずか3日前の判断でした。

  ただ、噴火のタイプや地震などの前兆現象は、火山によって違い、予知には限界があります。火山学者や火山研究者などの専門家の育成も欠かせませんが、今後の観測体制強化も課題であると感じました。

  近年、ウオーカーも平地や都市部のウオーキングから、自然を求めて、山岳地のトレッキングといったウオーキングも増えてきました。入山時には、その地域の地形や表層地質などの自然環境を事前に調査(自治体が作る火山ハザードマップなどが参考になります)するとともに、特に火山地域の場合は、現状の噴火警報レベル(1~5段階)を承知しておくことも重要でしょう。

           
               活火山分布図(気象庁のHPから転載)
(堀野正勝 記)






     北方領土地形図が新たに刊行     -92年ぶり更新-(第66回)


 北方領土の地形図が国土地理院によって92年ぶりに抜本更新されました。地上で測量できず、航空写真も撮れない北方領土の詳細な地形図をどのようにして作ったのでしょうか?国土地理院が人工衛星の画像を使って作成しました。これにより計画策定から50年で、国土すべての基本的な地図ができあがりました。

 できあがったのは縮尺2万5千分の1地形図です。これまでは大正時代に作成した5万分の1地形図でした。1964年(昭和39年)、国土の発展に役立てるために2万5千分の1地形図を基本とする方針が「基本測量長期計画」に盛り込まれ、全国の測量が始まりました。

  基本的には航空写真を使って作成が進められ、1983年(昭和58年)にはほぼ完成しました。空白地のうち尖閣諸島は1988年(昭和63年)に作成しました。衛星画像が使える時代となり、2007年(平成19年)に竹島もできました。

 最後に残ったのが北方領土で、雪に覆われる冬の衛星画像は使えず、春から秋の画像も雲が多く画像抽出に難航したという。約5年をかけて地上が確認できる画像を集め、北方領土の75枚の地形図を今年の2月に完成させました。

 1922年(大正11年)以来92年ぶりの本格的な抜本更新となり、最近、一般への販売が始まりました。大正時代に作られた地形図に比べると、崖などの厳しい地形も等高線が細かく描かれ、建物も実際に即して描かれています。

 なお、5万分の1地形図については、国土地理院の前身が戦前作成した5万分の1地形図をもとに、衛星画像を使って修正し、平成4年に北方4島全域について刊行しています。
  ぜひ一度、北方4島の新しい2万5千分の1地形図を手に取って観てみませんか?

          
              北方四島の地形図「古釜市」の一部
(堀野正勝 記)






   今年の干支は「羊」 -「蝦夷富士」と呼ばれる美しい山の名は「羊蹄山」-(第67回)


  あけましておめでとうございます

 ところで、今年の干支は、「羊」ですネ。中高年のわれらの仲間は、72歳あるいは、ちょっと若くなって一回り下の、定年を迎える(あるいは迎えた)方々ではないでしょうか?今回は、初春ということでもあり、昨年に弾き続き干支の羊にちなんだ話題としました。

 国土地理院で使用している山地・山脈・高地などの呼称は、主要自然地域名称図(昭和29年:地理調査所(国土地理院の以前の呼び名))により、決められていますが、山の名称は、現地の呼び名により、標記されるのが原則となっています。

 十二支の中で未(羊)にちなんだ山名は珍しく4座程度と言われています。北海道の倶知安にある「蝦夷富士」と呼ばれる「羊蹄山(1898m、かつては「後方羊蹄山・しりべしやま」と呼んでいましたが、昭和44年に町からの申請で「羊蹄山」が正式名称になりました。)」、同じく北海道・留寿都の「尻別岳(前方羊蹄山、1107m)」、本州では、越後駒ケ岳を望み山頂の草原に憩う、新潟県・須原の「未丈が嶽(1553m)」及び兵庫県・篠山の「櫃ケ嶽(羊ケ嶽、582m)」、別名「大芋富士」が知られています。

 ところで、「山」の定義は、広辞苑によると『平地より高く隆起した地塊』とありますが、山の名称としての「○○山」「××岳」などの固有名称は、山の高さ(標高)などには関係なく、前述のとおり地元で呼ばれている名称が、地形図上に示されています。時々、「○○山(△△岳)」などと表記された山名を見かけることがありますが、この様な場合には、山頂を挟んで表側と裏側で呼称が違うことを示しています(IWAニュース55号参照)。

 ちなみに、今年の西暦2015年にちなんだ2015mの標高を持つ山はないだろうかと、日本の山岳標高一覧(国土地理院、平成14年4月)を繰ってみたが、残念ながら見当たりませんでした。ひょっとしたら、日本には無いのかもしれませんネ。日本百名山の一つ「雲取山(東京都の最高峰)」の標高は2017mで2m低ければというところで、あと2年先が主役ということが分かりました。2年後を楽しみにしましょう。

          
                北海道・倶知安町の「羊蹄山」
(堀野正勝 記)






     地図から読み取れる遺構    -真壁城址 大規模な城郭庭園-(第68回) 


  桜川市真壁町の国指定史跡「真壁城址」に、大きな池を二つ配し、周囲に茶室などを巡らせた大規模な城郭庭園があったことが市教育委員会の発掘調査でわかった。江戸期に確立する大名庭園の原型ともみられ、県内では初めての出土で全国でも貴重な遺構と言えそうだ。

  発掘調査は国の補助事業として1997年度に開始されましたが、東日本大震災のため2011年度から3年間は中止となり、今年度から再開されたものです。

  真壁氏は平安末期から江戸時代直前までの約430年間、真壁地方を治めていました。真壁城址は筑波山北麓にあり、1994年10月に国史跡に指定(地形図上では「∴真壁城跡」)されました。この城は戦国時代に築かれ、1602年、主君の佐竹氏に伴い秋田に移るまで真壁氏の居城でした。

  今回のテーマを「地図から読み取れる遺構」としましたが、2万5千分の1地形図「真壁」を見ると、筑波山麓の標高40m~60m位の緩やかな台地状の地形を生かした戦国時代の城郭の姿がくっきりと描き出されているのがわかります。本丸跡(体育館の乗る面)とそれを囲むように何重かに配置された堀跡が見て取れます。
  今回発掘された大規模な城郭庭園は、2005年度に確認された南池(東西25m、南北14m)
の北側に17m四方の北池跡が見つかったもので、池には大きな中島も造られたことが確認されたという。場所は、本丸に次ぐ軍事上重要な中城と呼ばれる地点で、広大な庭園を活用し、酒宴や茶会を開き、客をもてなした文化・外交の姿が偲ばれます。

  真壁城址は、毎年2月中旬(今年は2月22日の予定)に行われる、恒例となった「石と蔵の街真壁のひな祭りウオーク」の出発地点となっていますので、このウオーキング大会に参加し、その機会に改めて、発掘の様子や、地図から読み取れる、戦国時代の古城の風情を楽しんでみてはいかがでしょうか。

        
                桜川市真壁伝承館資料から
(堀野正勝 記)






     伊能図に先駆けて作成された精緻な地図が沖縄にあった?
              -「琉球国之図」(尚財団所蔵)-(第69回)


 先日(1月17日)、琉球放送60周年記念事業として、TBS系列の特集があり、「琉球国之図」の素晴らしさを改めて知ることとなりましたので、この地図の概要を簡単に紹介しましょう。

 「琉球国之図」は、およそ220年前の沖縄諸島図で、琉球史研究の第一級の資料です。原図は、嘉慶元(1796)年に作られた縮尺13万分の1の地図で、首里王府が18世紀半ばに最先端の測量術を駆使して製作しました。市町村単位ほどの「間切島針図」を縮小接合して沖縄諸島図に仕上げたと考えられます。原図は、縦47.0センチ・横85.3センチの小さな図ですが、精度はきわめて高く、各地の土地情報が詳細に書き込まれています。

 間切・島ごとに色分されたなかに、山々・川筋・道筋・番所・村・城跡・聖地・御嶽・寺社・塩田・火立所・滝・海岸の岩礁・海方切・港などが描かれ、その名称や情報が注記されています。
  伊能忠敬が全国を歩いて測量し、精巧な日本地図を作ったことは広く知られていますが、伊能忠敬が測量する開始する前に沖縄(当時は琉球国)では、高原景宅によって素晴らしい地図が完成していたことはあまり知られていません。中国(清国)経由で当時のフランスの最新の測量術(三角測量法を用い、基準点となる印部(しるび)石(いし)(現在の三角点)を約200mに1点ほど設置し、再現性を担保した)で測定された立派な「琉球国之図」ができていたのです。

 ボストンに本拠地を置く尚財団(琉球国の最後の王朝の秘宝を管理所蔵する財団)の承認を得て、東京に秘蔵されてきた「琉球国之図」が先に琉球新報社の創立120周年事業として復元され、一昨年の沖縄県那覇市でのフロアー展で展示されました。このフロアー展示の地図は、原図(縮尺13万分の1)を伊能図の大きさ(縮尺3万6千分の1)に合わせ、拡大したもので、伊能図との対比ができるよう作成されていました。

  何かの折に、「琉球国之図」を見る機会がありましたら、このコラムを思い出していただければ幸いです。

          
                               今も残る「印部石(しるびいし)」
(堀野正勝 記)






      BS-TBS 「新・日本歩く道紀行(仮)」 放送決定!
               -名道の歴史と文化を尋ねる-(第70回)


 前号に引き続き、またまたTBS系列のテレビ放映のお話です。表題の「新・日本歩く道紀行100選」については、昨年秋口から本格的な募集が始まり、第一期の各県市町村等からの募集が3月20日で締め切られた。茨城県ウオーキング協会傘下の各クラブからも各テーマに沿い、24のコースが応募されました。今後、標記選考委員会の選考・実踏を踏まえて、その成果が公表されることと思いますが、その一部内容や500選のみちを生かしたBS-TBSの放送が確定し、この4月第一週の日曜日(毎週午前9時半)から放映されることとなりました。是非、一度ご覧いただければと思います。

 番組のコンセプトは、「名道の歴史と文化を尋ねる新日本歩く道紀行」です。道には、先人たちが営々と築き上げてきた歴史と文化が刻まれ、様々な形で日本全体をつなぎ、多くの役割を果たしてきました。そこには、語り継がれた「道の物語」があります。

 本番組は、この「道の物語」を先人達の知恵に学びながら、自然や歴史を縦軸に、文化や物産、食、住などの営みを横軸に、日本の名道の魅力を紐解きます。構成は、四季の移ろいや今を味わいながら道を歩く『旅人』の思いと、歴史を見続けてきた『道の聖霊』が、魅力的な映像とともに語り合う「歩く道紀行」(『新日本歩く道紀行100選』)です。

 番組を通じて、より多くの人々が、名道に魅せられ、自らその道を歩きたいという思いを想起させ、地域の活性化につながることを期待しています。また、現代人の生活において、「歩く」ことは、健康増進に大いに貢献します。そのため、よりファッショナブルで楽しい「ウオーキングの新しいライフスタイル」を提案することとしています。
 第1クール(4~6月):番組のコンセプト訴求 「歴史の道」「文化の道」「心と祭りの道」
 第2クール(7~9月):東日本大震災復興支援 「食の道」「港町今昔の道」「温泉の道」「歴史の道」な           ど(環境省みちのくトレイルとの連動)
 第3クール(10月~12月):「新・日本歩く道紀行100選」の大自然をテーマとし、
              「絶景の道」「森の道」「文化の道」など
 第4クル(1~3月):日本の冬の景色や、九州の早春をイメージとし、
             「水辺の道」「ふるさとの道」など

  第1章の放映は、2015年4月5日(日)、朝9時30分~で、毎日曜日、4回続きます。第2週目のみ、12時          30分からの予定です。
  第1章「高野山・空海の道」=こころと祭りの道・歴史の道・文化の道・森の道=
      弘法大師空海が開いた「祈りの聖地」を歩く人は、時代劇俳優で日本文化と歴史に造詣が深い      俳優・榎木孝明さんです(過日現地収録を実施済み)。
  第2章は、2015年5月3日(日)スタートで、時間は同じ、毎日曜日、4回 俳優・中原丈雄さん
      第2章「京都・維新の道」=幕末最大のウオーカー龍馬が歩いた京都、維新の道=
  第3章は、2015年6月7日(日)スタートで、時間同じ、毎日曜日、4回 女優・市毛良枝さん
      第3章「世界遺産・熊野古道」=森の道・歴史の道・絶景の道・こころと祭りの道=
  と続きます。
  お楽しみに!!

             
(堀野正勝 記)






     地図の利用(複製)手続について
          -ウオーキングマップの基図利用上の注意点-(第71回))


 新しい活動年度となり、新規の大会や、クラブ内でのウオーキングにコースマップの作成等が行われていることと思います。今回は、ウオーキングマップのベースとなる地図(基図)の利用に当たっての基礎的な留意点についてお話しましょう。一般的によく利用される、国土地理院の地図の利用を念頭にポイントを整理してみます。

 国土地理院の地図(地形図等)を、コピーやスキャンする等の行いは「測量成果の複製」(測量法第29条)にあたり承認が必要な場合があります。また、測量行為に当たらない場合であっても、基本測量成果(国土地理院の地図)を使用して刊行物を刊行する場合には、その旨の明示が必要となっています。
 もう少し、分かり易くお話しましょう。

 各クラブが、クラブ内で使うような場合(私的利用、少部数、A3サイズ程度)は、特に承認の必要はありません。しかし、国土地理院の地図を使ったという出典の明示は、礼儀でしょう。私的利用の範囲とは、社内、クラブやサークル、同好会においての利用です。

 それでは、承認申請が必要な場合はどうでしょうか。通常行われている大きな大会で不特定多数の参加者に配布する大会マップなどが該当します。茨城県内では、つくば国際ウオーキング大会や古河の花桃ウオーキング大会などで配布されるコースマップなどがそれに当たります。地図の右下隅などに以下のような表示がされていますので、次回の大会時に地図を見てみましょう。
 
「この地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分1地形図を複製したものである。(承認番号 平26情複、第907号)」

                (*つくば国際の申請事例です。)

 これらの行為は、地方自治体の地図、民間の地図の利用にあっても、原則、同様の対応となりますが、どうしても気になるようであれば、発行機関に確認するのが良いでしょう。ルールを守って、安全で楽しいウオーキングに努めましょう。
(堀野正勝 記)






    箱根火山の噴火警戒レベル引上げ
     -地図記号「がけ」「噴気口」「温泉」は何を語っているのでしょう?-(第72回)


 気象庁は、5月の連休中に、箱根山の大涌谷周辺の火山活動が活発化したとし「噴火警戒レベル」を「1」(平常)から「2」(火口周辺規制)に引き上げ、小規模な水蒸気噴火の恐れがありとして、警戒を呼びかけました。

 箱根山の噴火警戒レベルの引き上げは、2009年の導入以来初めてで、箱根町は大涌谷周辺半径約300mの想定火口域に避難指示を出し、大涌谷への立ち入り禁止、周辺遊歩道の閉鎖、箱根ロープウェイの全面運休対応を行いました。

  箱根火山は、山頂部に南北12km、東西8kmの大きなカルデラ(鍋状凹地)を持つ複成火山(三重式火山)で、カルデラの西側にある芦ノ湖はカルデラ湖です。もともと「箱根」という名称は、四方を峰々で囲まれた山塊という意味で名付けられました。

  箱根火山は、40万年前に火山活動を始めたと考えられています(町田・鈴木 1971)。今から約3100年(縄文後期)前には、神山の北西山腹で大型の水蒸気爆発が起き、大規模な山体崩壊となり、土石流が発生しました。

 土石流はカルデラ平原を横断し西の外輪山壁に達し、早川上流部がせき止められ、芦ノ湖が誕生しました。地形図上に見られる大涌谷の噴気口はその水蒸気爆発の名残を、がけは大規模な山体崩壊を示す痕跡です。
 また、大涌谷周辺や、姥子、仙石原に見られる「温泉」記号は、概ね大涌谷から供給された温泉と思われ、警戒が長引けば、温泉の供給にも影響が出るものと思われます。

 マグニチュード9を記録した大地震の後には、地下構造にも大きな影響を与え、火山活動が活発化する傾向にあります。昨年秋に噴火した「御嶽山」は記憶に新しいところですが、草津白根山や蔵王山なども火口周辺の立ち入りが規制されるなど火山活動が活発化しています。
 
 ウオーキング大会にも影を落とし始めています。草津よいとこツーデーマーチでは、白根山コースが使えないなど、名物コースの変更を余儀なくされていますし、また、宮城県の蔵王ツーデーマーチ(7月下旬)は、中止が決定されるなど影響が出ています。
  今後の情報をしっかりと見極めて、安全、安心なウオーキングに心掛けましょう。

            
      図:噴火警戒レベル「2」となった地面の隆起(最大12cm)を示す大涌谷周辺 
                        (国土地理院のHPから転載しました)
(堀野正勝 記)






     首都圏自然歩道「関東ふれあいの道」を歩こう
          -茨城県コース13「果樹の里のみち」一部コース見直し-(第73回)


 関東ふれあいの道(首都圏自然歩道)は、関東地方、一都六県をぐるりと一周する長距離自然歩道で、総延長は1,799kmです。

 東京都八王子梅ノ木平を起終点に、高尾山、奥多摩、秩父、妙義山、太平山、筑波山、九十九里浜、房総、三浦半島、丹沢などを結んでいます。美しい自然を楽しむばかりでなく田園風景、歴史や文化遺産にふれあうことのできる道です。より多くの人々が利用できるよう10㎞前後に区切った日帰りコースを160コース設定し、それぞれ起終点が鉄道やバス等と連絡するようにしています。

 茨城県内のルートは、常陸大宮市から御前山、笠間県立自然公園、水郷筑波国定公園や筑波研究学園都市を経て稲敷市へ至る延長255kmで、18コースにより構成されています。

 茨城県では、県内18の各コースマップを地図入りパンフレットをセットにして無償配布(送料のみ請求者負担)しています。
 『各コースマップの配布について』*ご希望の方は下記担当まで
  茨城県生活環境部環境政策課 関東ふれあいの道担当
  〒310-8555 茨城県水戸市笠原町978-6  TEL.029-301-2946(ダイヤルイン)

  なお、最近、茨城13「果樹の里のみち」の一部コースが見直され、地図もリニュアールされました。是非一度地図を片手にチャレンジしてみては如何でしょうか。また、毎年10月には首都圏自然歩道を利用した「茨城ウオークフェスティバル」を開催しますので、ぜひ一度参加してみてください。

 今年のウオークフェティバルは、岩瀬をスタートとする7コースの「坂東三十三箇所霊場の雨引観音」が指定されました。今年は茨城県が当番県に当たりますので、一都八県に呼びかけ大勢のウオーカーが参加しそうですね。

           
(堀野正勝 記)






     榎本武揚が北方4島を含む千島列島を日本の領土とした話
            -伊能測量隊隊員「箱田良助」は榎本武揚の父-(第74回) 


 榎本武揚が幕末の函館戦争で幕府方の大将であったことは、多くの皆さんが承知していることと思います。
 また、榎本武揚が伊能中図を江戸城から持ち出し、敗戦時にフランス軍に渡した(と推測されている)とされる話も、伊能忠敬研究会渡辺一郎氏の推測ですが、ほぼ間違いないでしょう。その中図が今は、日本に帰り、先ごろまで「完全復元伊能図全国巡回フロア展」で複製図が展示されていたのも何かの縁を感じます。
   *注:完全復元伊能図全国巡回フロア展は、平成27年3月をもって終了しました。

 函館戦争の幕府方の大将であった榎本武揚(伊能測量隊隊員であった箱田良助の子)の玄孫(やしゃご)である「榎本隆充」(農大名誉教授、83歳)氏の講演「榎本武揚のシベリア横断旅行日記」でのお話(平成27年6月27日、伊能忠敬研究会総会の記念講演)は、大変興味深かいものがありました。

 榎本武揚は賊軍の将であっても、資質が認められ、明治政府に登用され「ロシア公使」となり、「千島・樺太交換条約(明治8年6月)」を締結した話などは大変興味深く拝聴しました。伊能続きで、今日の日ロ間で領土問題となっている北方4島がその時に日本への帰属が決まったわけ(第2次大戦を機に、今はロシアの実効支配が進んでいるが)で、日本政府が、日本の領土であると主張する根拠となっています。榎本武揚が条約締結に深く絡んでいたことは、今回初めて知りましたし、武揚が大変素晴らしい人物であったことも良く分かりました。

 こういった背景を知れば知るほど、国土地理院が、先ごろ北方四島の2万5千分の1地形図を人工衛星だいちの画像を使ってリニューアルしたことは、改めて意義のあることだと感じました。この地形図が完成するまでは、5万分の1地形図が最大縮尺の地図であったことは言うまでもありません。

         
(堀野正勝 記)






     堺田(山形県最上町)の分水嶺
                -芭蕉と奥の細道ゆかりの地-(第75回)
 


 堺田(山形県最上町)は、皆さんご存知の江戸時代の俳人・松尾芭蕉ゆかりの地です。芭蕉は、元禄二年(1689)46歳の時、門人曽良を伴って「奥の細道」行脚に出立しました。この旅は、歌枕・旧跡や西行、源義経などの先人の足跡を訪ねるためでした。

 五月中旬(新暦)に江戸を出て、日光を経て、白河の関・仙台・松島・平泉・鳴子・尾花沢・山寺・出羽三山・鶴岡・象潟・酒田などの奥羽(東北地方)を巡って、新潟・金沢・敦賀などを訪れて、10月4日(新暦)大垣に至る旅でした。

 堺田は芭蕉ゆかりの宿・封人の家(有路家、国境を守る役人の家のこと)があることでも有名です。芭蕉は「奥の細道」に、「大山を登って日すでに暮れければ、封人の家を見かけて宿りを求む。三日風雨荒れてよしなき山中に逗留す。・・・」と綴っています。この折、芭蕉は『蚤(のみ)虱(しらみ)馬の尿(しと)する枕もと』と有名な俳句を残しています。この地方は、馬の産地としても有名で、各家は人馬同居の造りとなっていました。

 平成15年(2003)4月より11年かけてこのルートを完歩した、JWA主催のロングウオーク「平成・奥の細道ウオーク」(平成26年(2014)5月完歩)は皆さんも良くご存知のことと思います。
分水嶺(分水界)とは、異なる水系の境界線を示す地理用語です。山岳においては、稜線と分水界が一致していることが多く、分水嶺と呼ばれています。

 鳴子温泉を過ぎ国道47号線を登ると堺田越(別名中山峠、標高350m)となります。峠の頂上には山形県最上町の堺田集落があり、分水嶺の真上に存在する集落です。堺田駅前には日本でもほとんど見られない『地上に露出した分水嶺』があります。一本の水路が、流れるうちに自然に日本海側と太平洋側に分かれる不思議な水路です。(写真参照)

 分水嶺は、山岳においては稜線のどちら側に降るかで流れ込む川が変わり、そそぐ海が明瞭に変わりますが、分水嶺がこのように、一見平坦な地形で見られるところは、日本でも珍しいと思います。

 今日紹介した堺田の分水嶺(西は最上川を経て日本海へ、東は北上川を経て太平洋へ)のほか、兵庫県丹波市に見られる加古川(瀬戸内海へ)と由良川(日本海へ)の分水嶺、広島県安芸高田市の江の川(日本海へ)と太田川(瀬戸内海へ)の分水嶺の例が平坦な地形の分水嶺として、「泣き別れ」現象が見られます。これらは日本における河川争奪の代表的な例です。

 今年(平成27年)に入って、縁あって、『堺田の分水嶺』を訪れる機会に恵まれ、日本でも珍しい地形でもあり、ぜひ紹介したいと思い記すこととしました。今年からスタートした「みやぎ大崎鳴子温泉ツーデーマーチ」でのコースにもなっていますので、機会を見て参加の上、堺田の分水嶺を尋ねてみては如何でしょうか。

           
      堺田の分水嶺(上部の水路が日本海側と太平洋側へと「泣き別れ」ます)
(堀野正勝 記)






          鬼怒川決壊に思う
               -関東・東北豪雨災害-(第76回)


 北関東や東北を襲った記録的な豪雨で、鬼怒川の左岸側の堤防が決壊し、わが茨城県では、常総市を中心に甚大な被害が発生しました。9月10日(木)北関東や東北を襲った記録的な豪雨で、鬼怒川の左岸側の堤防が決壊し、わが茨城県では、常総市を中心に甚大な被害が発生しました。9月10日(木)午後0時50分に決壊した濁流は、瞬く間に住宅や、収穫前の水田を覆い尽くしました。66年ぶりの破堤でした。

 今回の破堤は、常総市石下地区で鬼怒川の左岸堤防が決壊したもので、沢山の家屋や車が濁流にのみ込まれました。この災害で筑西市ウオーキングクラブ連合会に所属する何人かの会員さんが被害に遭われたと聞いております。心からお見舞いを申し上げたいと思います。

 鬼怒川は、関東平野を北から南へと流れ、TX線守谷駅の北側付近で利根川に合流する一級河川です。全長176,7kmで利根川の支流では最も長い河川です。江戸時代以前は独立して、香取海(霞ヶ浦や北浦はその名残)を経て太平洋へそそぐ鬼怒川水系の主流でした。

 しかし、徳川家康の利根川東遷事業により、もともと江戸湾に注いでいた利根川を江戸の市街地を水害から守るため、あるいは江戸への水運を活発化させるため、東遷させ、その折に鬼怒川は利根川にそそぐ支川となりました。

 江戸時代初期までは、利根川や鬼怒川の下流部は高低差の無い平地が続き、上流部で大雨が降るとその降雨は下流平野部に滞留し、湿地帯を形成していました(現在の茨城県南部地域)。今回、鬼怒川上流部(日光の山地部)で短時間に600㎜を超える異常降雨があったため、前述のような本来の河川の持つ性状が表に出たということでしょう。まさに「鬼が怒る川」、暴れ川の本性を現したことになりました。

 国土地理院が、今回の豪雨で氾濫した浸水した面積を推定した結果、鬼怒川の堤防が決壊した常総市ではおよそ40平方キロメートルに及ぶことが分かりました。その範囲は南北方向に最大18km、東西方向に最大4kmに及び、住宅や倉庫などおよそ2万棟の建物が何らかの被害を受けました。

 過去に、国土地理院が作成した治水地形分類図や、自治体が作成している洪水ハザードマップのお話をしましたが、今回の災害は他人事ではないことを実証したものと思います。自治体の出す避難勧告や避難指示に加え、自分がどういう水害の危険性がある場所(洪水やがけ崩れ、土石流等による危険地?)に住んでいるのかをこれらの地図で確認し、避難行動をどのようにとるかを常日頃から考えておくことが必要でしょう。

 また、鬼怒川の例を見るまでもなく「名は体を表す」と言います。昔からの地名が失われつつある今日ですが、自分の居住する周辺の地名を改めて見直してみては如何でしょうか?危険が発見できるかもしれません。
  





添付の写真は、国土地理院の職員が現地調査を行っている写真で、石下の市街地が水没している状況が良く分かります。                 国土地理院HPより
 
          国土地理院HPより。
(堀野正勝 記)






     鬼怒川決壊に思う (第2弾)
           -関東・東北豪雨災害 あれから1か月-(第77回)


 関東・東北豪雨で茨城県常総市の鬼怒川の堤防が決壊(9月10日)してから、10月10日で1ヶ月が経ちました。2人が死亡した常総市周辺では、一時不通だった関東鉄道常総線がやっと全線開通したものの、10日現在で400人以上が避難署生活を送る大災害となってしまいました。

 政府は、この災害を激甚災害に指定し、今後5年間で鬼怒川の拡幅や堤防建設に集中投資し、同程度の降雨に耐えられる改修を行うと発表しました。一日も早い復興を望みたいと思います。

 ところで、洪水と地形の関係を改めてお話ししたいと思います。
 茨城県には、国土交通省が直轄管理する1級河川(水系)がいくつあるかご存知でしょうか?全国に109河川あり、茨城県内には3河川、久慈川、那珂川、利根川(鬼怒川、小貝川含む)が代表する1級河川です。それぞれ、流域周辺には、一定の低地を抱え、人々の暮らしと社会活動が行われています。これらの河川は、数県をまたがる流域を持つことから、重要な河川として国が直接管理することとなっています。

 これらの大河川流域には、多くの人口と一定の平野を持っていますので、時に洪水による大災害が起きています。最近でも那珂川が水戸市周辺で洪水を発生し、多くの住宅が被害をこうむったことは記憶に新しいところですし、1981年の利根川水系の小貝川が竜ケ崎市周辺で破堤し、下流域の利根町等を含む広域が水害に見舞われています。

 関東平野の大河川は、比較的緩やかな河川勾配のため、河川堤外(河川側)の水位が高まり破堤する危険性が比較的高くなっています。さらに、河川が蛇行した履歴を持つため、旧河川跡などが脆弱になっています。昔から居住し、過去の水害を経験した年寄りなどの話を聞くのも大事でしょう。

 河川堤防が比較的整備された現在、過去の地形条件が良く分からなくなっていますので、今一度、自宅の周りの地形環境をぜひ見直してみてください。古い地形図や洪水ハザードマップ、治水地形分類図、土地条件図などでかつての地形情報を入手し、確認するのも良いでしょう。

            
(堀野正勝 記)






     地形図がスマホ対応      -地理院地図がリユーアル-(第78回)


  国土地理院のウェブ地図「地理院地図」がスマートフォンやタブレットなどの端末からも快適に利用できるようになったのをご存知でしょうか?今年の春先からサイトがリニューアルし、地形図をはじめ、災害情報、標高値など様々な地理空間情報がモバイル端末で見えるようになりました。

○モバイル端末からも利用しやすい画面デザイン
地理院地図の膨大な情報や機能をモバイル端末から利用するのは困難でしたが、様々な情報や機能をそれぞれワンボタンに整理したことにより、モバイル端末の小さな画面でも快適に地図が利用できるようになりました。
○スマートフォンのGPS機能を利用した現在位置表示
  全国統一基準の地形図を整備・維持する国土地理院の特性を生かし、スマートフォンで測位した現在位置を国土地理院のウェブ地図上にジャンプする機能を備えました。インターネット回線と電源さえ確保できれば、日本全国どこにいても周囲の地形、住所、標高等を確認できるようになりました。
○タッチパネルからの作図ほか
  タッチパネルからフリーハンドで作図ができるようになりました。作図した情報は、一定のフォーマットで保存・読みこみすることが可能となりました。

 地理院地図には、その他にも計測機能や地図の3D表示などの機能もあります。是非「地理院地図」を活用してみては如何でしょうか。

           ⇒  
                 *国土地理院ホームページより
(堀野正勝 記)






     今年の干支は「申(猿)」      -干支に因んだ山は?-(第79回)


  あけましておめでとうございます

 ここ2回ほど、「干支に因んだ山名」について初春の話題として取り上げ、今回が第3弾となります。
今年は「申」と言うことで、「猿」を含む山名について、調べてみました。

 最初に、国土地理院刊行の「日本の主な山岳標高一覧-1003山-」を調べてみました。茨城県内の主な山としては、八溝山(1022m)、筑波山(877m)、男体山(654m)など7山で、残念ながら、「申(猿)」にかかわる山は見つかりませんでした。

 そこで、茨城県近隣の県を本書からリサーチしてみると、栃木県日光市に庚申山(こうしんざん,1892m、標高点)が唯一見つかりました。庚申山周辺は、国の植物レッドデータブックで特別危惧Ⅱ類に指定されている特別天然記念物「コウシンソウ(庚申草)」(日本固有種の食虫植物)の自生地として知られています。
「コウシンソウ」の食虫植物としての補虫部は葉や花茎で、これらで分泌した粘液で小さな虫を捉えると言われています。花は6~7月頃に5~10mmほどの薄紫色の花を咲かせます。ただ、標高1200m~2200m付近の垂直な崖が生息地であり、運が良ければ見つかるかもしれないという貴重な植物です(添付写真参照)。

 冬の時期の登山は無理でしょうから、6~7月頃の気候の良い時期に今年の干支の山「庚申山」を目指してみてはいかがでしょうか。運が良ければ「コウシンソウ」に出会えるかもしれませんヨ。

 前述の「日本の主な山岳標高一覧-1003山-」は、平成3年に国土地理院の技術資料としてとり纏めたもので、その後、地形図の日本測地系から世界測地系への変更や、地殻変動(東日本大地震など)による地形変化に伴う標高数値の更新などが行われて、現在、最新版が国土地理院のHPに掲載されています。各県別に見ることもできますので、一度覗いてみてはいかがですか。

   
     国土地理院の電子地形図を掲載                 特別天然記念物「コウシンソウ」 
                                      *栃木県日光市足尾・庚申山(2007年6月)
(堀野正勝 記)






     外国人にわかりやすい地図表現について
               -国土地理院が近々公表予定-(第80回)


 国土地理院は、正月明けの1月6日に「外国人にわかりやすい地図表現検討会報告書」がまとまったとして報道発表を行いました。

 国土地理院では、訪日外国人旅行者の円滑な移動や快適な滞在のための環境整備を図り、観光立国実現や2020年東京オリンピック競技大会の円滑な開催などに資するため、平成26年に「外国人にわかりやすい地図表現検討会」(森田喬法政大学教授、日本国際地図学会会長)を設置し、外国人にわかりやすい地図を作成するための標準として地図に記載する地名等の英語表記ルール及び外国人にわかりやすい地図記号の検討結果の概要を発表しました。

 そのポイントは以下の通りです。
Ⅰ.地図に記載する地名等の英語表記ルール
  ・ローマ字表記から英語表記への変換方法を示しており、ローマ字表記のうち地形や種別を表す部分を   英語に置き換える方式(置換方式)を基本としています。
  ・但し、名称の構造上、置換方式が適用できない場合や、日本語の地名が認識することが困難な場合に  はローマ字表記に地形や種別を表す英語を追加する方式(追加方式)を採用することとしています。
  ・置換方式の例 筑波山:Mt. Tsukuba
            利根川:Tone River
  追記方式の例 月山:Mt. Gassan(置換方式は適用不能)  
            荒川:Arakawa River
Ⅱ.外国人にわかりやすい地図記号
  ・外国人へのアンケートに基づき、ショッピングセンター/百貨店など外国人旅行者に必要と思われる    18種類の施設の地図記号のイメージがまとめられました。
  ・国土地理院では、今年度中にこの地図記号イメージに基づいた具体的な地図記号を公表します。
  ・作成する地図記号は、国土地理院が外国語版地図を作成する際の基本として適用するとともに、関係   機関地方公共団体、民間地図会社などにも広く周知し、活用を促進することとしています。

 この3月の年度末には、外国人向けの新しい地図記号が公表されると思いますので、楽しみにしていましょう。
           表 外国人に必要と思われる地図記号(検討対象18種類)
対象事項   地図記号検討対象項目
①外国人がよく訪れる場所(12種類)  ホテル、レストラン、ショッピングセンター/百貨店、トイレ、寺院、神社、温泉、博物館・美術館、教会、モスク、鉄道駅、空港 
②便利な場所(4種類)  観光案内所、郵便局、銀行(ATM)、コンビニエンスストア/スーパーマーケット 
③緊急時に頼れる場所(2種類)  病院、交番 
 
発表された新地図記号(素案)の一部 
パブリックコメントを行ったうえで正式決定される(国土地理院HPより)
      
       郵便局         銀行          病院        コンビニ
(堀野正勝 記)






     測量・地図にゆかりの人々(茨城県編その1)
        -長久保赤水(せきすい)と赤水図(改正日本輿地路程全図)-(第81回)  


 お隣の県・千葉県香取市佐原(茨城県潮来市と利根川をはさんで隣町)ゆかりの「伊能忠敬(1745~1818)」は江戸後期に活躍し、明治以降の近代測量に多大の貢献した「伊能図」(正式な名称は、「大日本沿海輿地全図」)の作者として皆さん良くご存知の通りで、IWAニュースでも何回か記述しました。

 長久保赤水(1717~1801)は、この伊能忠敬が活躍した時代より半世紀ほど遡る江戸中期から後期に活躍した茨城県高萩市出身の儒者・地理学者で、日本で初めて経線が記入された日本地図「改正日本輿地路程全図」(通称「赤水図」)を安永8年(1779)、63歳の時に作成しました。また、天明5年(1785)には、楕円形の世界図「地球万国全図」を作成する等、多くの地図編纂を手掛けています。

 中でも、日本地図「改正日本輿地路程全図」は、享保日本図(江戸幕府が慶長、正保、元禄、享保の4回作成した日本地図の1つ)をはじめ国絵図(江戸時代、幕府の命により各藩が領国を測量した地図)などの多くの資料を基に作成したもので、縮尺は129万6000分の1(10里を1寸で表示)で作成されたものです。日本で初めて経緯線が描かれた地図として知られています。但し、残念ながら経緯線は、経線と緯線が格子状に示された「方格線」で示されるなど、真の意味での経緯度線ではありません。実測による経緯度線の出現は、伊能図まで待たなければなりません。しかし、それまでの地図と比較して「科学的な地図」に一歩近づいたものとして高く評価されています。

 この赤水図の初版が刊行されたのは安永9年(1780)で、伊能図が完成する約40年も前でした。伊能図は、幕府の「秘蔵図」として扱われたため、一般への公開は許されませんでした。そのため、明治新政府による本格的な測量図が公開されるまでは、一般に広く利用された日本地図は赤水図で、この点からも評価されています。

 長久保赤水は、晩年(72歳)には、水戸徳川家藩主・徳川治保公の命を受け「大日本史」の地理誌編纂(徳川光圀公以降途絶えていたものを再開・編纂)に関係するとともに、74歳の時には、「蝦夷地之図」を作成する等、生涯を地図作成にささげた人です。

               
        長久保赤水肖像              改正日本輿地路程全図(赤水図)
(堀野正勝 記)






     測量・地図にゆかりの人々(茨城県編その2)
         -間宮林蔵と伊能図(蝦夷地測量と蝦夷全図)の作成-(第82回)


 間宮海峡を発見したことで有名な間宮林蔵(1780~1844)は、常陸国筑波郡上平柳村(現在の茨城県つくばみらい市)の小貝川のほとりに農家の子として生まれ、15、6歳まで当地で過ごしました。

 9歳の時には、村の専称寺にある寺子屋に通い、読み書き、そろばんを学びました。約50m北東に移設された生家(現存)は約23坪ほどあり、寛永年間(1723~1781)の築ではないかと言われています。その生家に隣接して間宮林蔵記念館があります。

 記念館には、林蔵の偉業を紹介するビデオ(子ど向けの楽しい内容)が放映されたり、測量成果としての「蝦夷全図」や間宮海峡の発見につながった探検記「東韃(とうだつ)地方紀行」、伊能家所蔵の林蔵が使用した毛布や探検用頭巾などが展示されています。
 また、生家近くの専称寺には、墓所があります(東京・江東区本立院にもあります)。

 間宮林蔵は、皆さんご存知の通り、江戸時代後期の隠密、探検家として知られ、樺太(サハリン)が島であることを確認したことで大変有名です(東韃紀行:樺太からアムール川下流域への探検記)。シーボルトが作成した当時の地図には発見した海峡部分に「マミヤセト」と記載されています。

 間宮林蔵が伊能図の蝦夷地全体を測量し作図したことは、最近になって明らかになりました。これまでは、伊能忠敬が松前から根室(蝦夷地東南沿岸)までは測量し、その成果が蝦夷地の伊能図に利用されたと言われていました。

 林蔵が、幕府の役人として蝦夷地に派遣されていた時、伊能忠敬が第一次測量(蝦夷地東海岸部測量)を行っており、林蔵は現地で伊能忠敬に測量技術を学んでいます。その後。林蔵は江戸で忠敬より測量術を8回にわたって勉強しています。間宮海峡発見の成果もあり、林蔵は1811年に再度蝦夷地に渡り、その後数年をかけ伊能忠敬の測量(第一次測量)部分も含め蝦夷地全域の測量を行いました。現在では、蝦夷地の伊能図は、間宮林蔵の成果であろうとされています。また、この時の成果は、「蝦夷全図」として一枚の地図に纏められました。

 林蔵ゆかりの地は、ほかにも茨城県内に数か所あります。林蔵が幕府役人になるきっかけとなった小貝川の岡堰(取手市岡)ほとりには記念碑と銅像が、また、筑波山男体山直下には、林蔵が出世祈願をしたと言われる「筑波山立身屈」と記念碑があります。

 機会を見て、間宮林蔵ゆかりの地をウオーキングしては如何でしょうか。

    
 間宮林蔵(松岡映丘・画)      間宮林蔵の蝦夷全図               間宮林蔵記念館
(堀野正勝 記)






     測量・地図にゆかりの人々(茨城県編その3)
            -沼尻墨僊(ぼくせん)と傘式地球儀の製作-(第83回)


 沼尻墨僊(1775~1856)は、現在の茨城県土浦市の生まれで、江戸時代後期の地理学者、天文学者です。傘式の地球儀を考案・製作したことで知られています。また、寺子屋(天章堂、土浦・中城町⇒現中央1丁目)を開き、この傘式地球儀を用い世界各地の地理について教授したと言われています。

 墨僊は、土浦の旧家五香屋(中村姓)の9番目の子として生まれ、すぐに町医者であった沼尻家の養子となりました。幼少より向学心が旺盛で、勉学に精を出すとともに地理学にも興味を持ち、多くの地理学の研究書を著しました。

 26歳の年(1800年、伊能忠敬が全国測量を開始した年)には、世界各地について書いた地理学の研究書「地球万国図説」を著しています。この中で、地球儀を製作したこと、それを寺子屋教育に使用したことなどが記述されています。

 この他、当時の世界最高の地理書を数多く筆写するとともに、数多くの世界図を模写しています。この中には、長久保赤水作をベースとする「地球万国山海興地路程全図」や高橋景保の「新訂万国全図」などがあります。

 特に、墨僊の最大の業績である「傘式地球儀」は、安政2年(1855年)に製作されたものが残されています。墨僊の血を引く本間家の所蔵で、土浦博物館に展示されています。この傘式地球儀は、12本の骨と長さが40㎝程の柄を持つもので、傘を開くように片方を押し上げると、地図が開く仕掛けとなっています。

 この地球儀は、江戸や大坂に送られ、全国諸侯にも届けられ、水戸藩主徳川家斉公に称されるなど、大変好評であったと伝えられています。これらの地球儀のうち何点かは現存し、神戸市立博物館や山口県防府市の毛利博物館にも残されています。

 墨僊は、この地球儀や墨僊が編纂した教科書「土浦名所案内」などを使って、主宰する寺子屋「天章堂」で土浦周辺からやってきた多くの子弟に地球や地理について、熱心に教えたようです。

 機会がありましたら、土浦市内ウオーキングと共に、土浦博物館を訪れ、沼尻墨僊作の傘式地球儀や、世界地図の写図などを是非ご覧になってください。

 ※「傘式地球儀」は、常設展示はされてないので、見学される場合、博物館(電話029-824-2928)にお問い合わせください。

    
  沼尻墨僊作「傘式地球儀」(安政2年、1855年作)     沼尻墨僊の寺子屋跡(琴平神社:土浦市中央1丁目)
(堀野正勝 記)






     測量・地図にゆかりの人々(茨城県編その4)
       -「竹島」記載の地図を作製した土浦の地理学者・山村才助-(第84回)


 山村才助(1770~1807)は、江戸後期の蘭学者、地理学者で、常陸国(現在の茨城県)の土浦藩士(150石、中堅武士)で、才助は通称、名は昌永と言いました。江戸で生まれ、幼少時から地理学を好み、1789年(寛政元年)、母方の叔父市河寛斎(高名な儒学者)の紹介により大槻玄沢の芝蘭堂に入門し、本格的に世界地理の研究の道に入りました。玄沢四天王と呼ばれ、当時の蘭学者番付では西関脇となっています。

 主な功績としては、新井白石著の地理書『采覧異言』を増補訂正した『訂正増訳采覧異言』の編纂があげられます。これは後に幕府に献上され、これによって才助の功績が認められ、幕命を受け『魯西亜国志』を翻訳しました。また達者な語学力でオランダ語の地理・歴史書を読み、数多くの書物を訳述しました。残念ながら、才助の著作は生前公刊されなかったため、幕府要人や知識人を除けば、知る人は少なかったようです。

 山村才助の作製した地図に『華夷一覧図』があります。この地図は、文化3年(1806年)に作製したもので、中国を中心に置き、アジアの大部分と南洋諸島、ヨーロッパ、アフリカ東部を描いたものです
 この地図は、特定の西洋地図の原図によって作製されたものではなく、山村才助の世界地理の知識によって独自に描かれたものと考えられています。この地図の説明書として、別に『華夷一覧図説』が作成されました。

 この地図には江戸幕府の昌平坂学問所の蔵書印があります。日本海に「竹シマ」(竹島)、「松シマ」(松島)が記され、何れも日本領としています。また、北方領土は、「クナシリ」(国後島)、「エトロフ」(択捉島)を日本領に、得撫島をロシア領としています。現在、領土問題を抱える日本国にとっても、当時の世界が認めた領有権を示す、貴重な資料と言えます。

 なお、土浦市亀城公園には、「山村才助贈位紀恩碑」(大正9年10月建立)がありますので、機会がありましたら訪ねてみてください。

              
               山村才助『華夷一覧図』(1806年)
                      国立公文書館所蔵
(堀野正勝 記)






    測量・地図にゆかりの人々(茨城県編その5)      (第85回)
   -日本初のオランダ地図『新訳和蘭国全図』を制作した古河藩家老(地理学者)・鷹見泉石-
 


 鷹見泉石(1785~1858)は、江戸後期の蘭学者、地理学者で、下総国古河藩(現在の茨城県古河市)の家老(330石)です。泉石は、天明5年(1785年)、古河藩の御使番役・鷹見忠徳(250石)の長男として古河城下に誕生しました。調役給仕として出仕して以降、目付、用人上席、番頭格などを経て、天保2年(1831年)には280石の家老に昇進しました。

 譜代大名の藩主土井氏は代々幕府の要職を歴任し、土井利厚・利位親子もまた寺社奉行や大坂城代、京都所司代、老中などの要職を務めました。泉石は、藩主に近侍して全国各地へ同行し、これらの職務の補佐を務めました。「土井の鷹見か、鷹見の土井か」と言われるほどに、その能力は称賛を受けました。弘化2年(1845年)、加増をうけ330石となりましたが、翌弘化3年(1846年)に免職となり古河の長谷町(現泉石記念館)に隠居しました。

 泉石は、対外意識の高まる中、幕政に当たる譜代大名の重心という立場から、早くから海外事情に関心を寄せ、地理、歴史、兵学、天文、暦数などの文物の収集に努めました。当時の政治、文化、外交などの中枢にある人々(江川英龍:幕府要人、渡辺崋山:蘭学者、箕作省吾:地理学者、谷文晁:画家、高島秋帆:砲術家、海外渡航者:大黒屋光太夫、オランダ商館長:スチュルレルなど)と広く交流を持ち、洋学界に大きく寄与しました。

 泉石は、隠居後、日本最初のオランダ地図『新訳和蘭国全図』(嘉永2年(1849年)完成、同5年刊行)の制作に着手しました。この地図は、長い年月をかけて収集した海外情報の集大成であり、未だ国際感覚に疎い鎖国の日本人を啓発する教科書でもあり、泉石の蘭学の成果ともいうべきものであったと考えられます。

 平成16年(2004年)には、この地図『新訳和蘭国全図』を含む、文書・記録類、絵図・地図類、書籍類、書状類、絵画・器物類など古河歴史博物館が所蔵する鷹見泉石関係資料3157点が国の重要文化財に指定されました。渡辺崋山筆による『鷹見泉石像(東京国立博物館蔵)』は、泉石53歳の時の肖像画で、西洋の画法も取り入れた近世画の傑作として、国宝に指定されています。また、絵図・地図類の中には、泉石が写した伊能図などが多数含まれていますので、「古河まくらがの里・花桃ウオーク」等に参加の折には、是非、古河歴史博物館に立ち寄り、泉石の偉業を訪ねてみては如何でしょうか。

           
     鷹見泉石が自写した東日本半部沿海地図(伊能図、    鷹見泉石像(国宝) 
         重要文化財)(古河歴史博物館蔵)     渡辺崋山筆(東京国立博物館蔵)
(堀野正勝 記)



 


     地図に見る土木遺産(茨城県編その1)  -横利根閘門(こうもん)-(第86回)
                  


 最近、世界遺産やら日本遺産への指定などが新聞紙上を賑わしていますが、近代土木遺産として地図にその遺構を残している素晴らしい施設がわが茨城県下にもかなりあります。今回からは、これらのうち、一度は尋ねて頂きたい近代土木遺産を紹介します。

 第1回は、横利根閘門を紹介しましょう。横利根閘門は、茨城県稲敷市と千葉県香取市の県境付近に位置する横利根川にある閘門です。

 そもそも「閘門」とは、どのような機能を持った土木施設なのでしょうか?閘門は、水位の異なる河川や運河、水路の間で船を上下させるための装置です。閘門の特徴は、固定された閘室(前後を仕切った空間)内の水位を変化させられることです。

 利根川は、明治の初め頃には、現在の横利根川筋から北利根川・常陸利根川を流れていましたが1900年(明治33年)から始まった利根川改修工事により、現在の利根川筋に流れが移されました。利根川増水時に横利根川を通じて霞ヶ浦沿岸に氾濫をもたらしていたことから、利根川と霞ヶ浦を分断するため、また、増水時にも舟運に支障を来さないように、横利根閘門が建設されました。1914年(大正3年)に着工し、7年後の1921年(大正10年)に完成しました。

 横利根閘門は、大小8枚の鋼鉄製門扉があり、閘門の有効長は300尺(90.9m)、幅員36尺(10.9m)、深さは平均低水位以下8.6尺(2.6m)です。当時就航していた船舶で最も大きな船を基準に設計されました。

 完成後、1935年(昭和10年)頃までは定期船を含めて年間5万隻の船舶の航行がありましたが、水郷大橋の開通(1936年)など陸上交通の進展に伴い舟運は衰退していきました。現在では、漁船や釣り船、モーターボートなどが年間1~2千隻利用する程度となっていますが、今なお現役で動く閘門として利用されています。
 2000年(平成12年)5月、日本における煉瓦造り閘門の一つの到達点を示す近代化遺産として重要文化財に指定されました。2006年(平成18年)には、閘門を含む周辺が日本の歴史公園100選に選定されています。 
 現在、閘門の周辺は「横利根閘門ふれあい公園(稲敷市・香取市管理)として整備され、桜の名所、横利根川に面した釣りの名所として憩いの場になっています。

   
    横利根閘門(国土地理院電子地図)                      横利根閘門
(堀野正勝 記)






     地図に見る土木遺産(茨城県編その2) -水戸水道(旧)低区配水塔-
 


 水戸市水道低区配水塔は、水戸市街の低地部市民への良質な水道水を供給するため、水道技師後藤鶴松の設計・指導、市の直轄工事により昭和7年(1932)に完成しました。高さ21.6m、直径11.2mの円筒形のコンクリート製です。
 塔の中央にはバルコニー風の回廊がせり出し、それを境に上部正面の2箇所、10箇所の窓にレリーフが彫られています。また上部がアーチ状になった窓があり、1階入口の上部にはゴシック風装飾も施された意匠が特徴です。
 その優美な姿は建設直後から評判が高く、平成8年(1996年)12月20日、国指定の登録有形文化財になりました。竣工以来、戦火をも免れ配水塔として機能してきましたが、平成11年(1999年)度をもってその役割を終えました。昭和60年(1985年)には近代水道百選にも選ばれています。

 この配水塔のある場所(住所:水戸市北見町2-11)は、旧県庁北側にあります。この場所周辺は、昔の水戸城の跡地で、地形的には馬の背状になった台地の東の端近くにあります。台地の比高(低地との標高差は20m以上ある)を利用し、この近くの低地(現在の下市地区)に配水を行いました。

 2万5千分の1地形図では、丸い建物記号で表されています。水戸市周辺のウオーキングに参加した際には、是非一度訪ねてみて下さい。

             
        水戸水道(旧)低区配水塔            国土地理院電子地形図
(堀野正勝 記)



 


     地図に見る土木遺産(茨城県編その3)  -筑波山ケーブルカー-(第88回)


 筑波山ケーブルカー(通称)は、茨城県つくば市の宮脇駅から筑波山頂駅に至る筑波観光鉄道(株)のケーブルカーで、正式名称は、筑波山鋼索鉄道と言います。開業は1925(大正14)年10月12日で、関東地方では箱根登山鉄道(大正8年竣工)に次いで2番目に竣工・開業しました。今なお現役で、およそ1世紀にわたり運行されています。

筑波山ケーブルカーは、「コンクリート覆工隧道や90度に方向転換(山頂に向かって、長峰トンネル手前から左へ曲がる)する路線設定など大正期の最新技術を駆使して建設され、今尚、筑波山観光の重要な交通施設」であるという理由から土木遺産に推奨されました。

また、ケーブルカーの路線上にある「長峰トンネル(長さ118m)」は開業当時も難工事となったと言われる大正期の建造物です。このあたりの地質は、硬岩(斑レイ岩)で、そこをトンネルで通過しています。ケーブルカーの全長は、1.6km、標高差は495mです。

筑波山及び筑波山周辺地域(つくば市、土浦市など6市)は、際立って特色のある地形や地質、自然が広がっており、平成28年9月9日、日本ジオパーク(「筑波山地域ジオパーク」)として認定されました。この活動の中でも、歴史的地域資源(土木遺産)として、ケーブルカーの歴史、路線やトンネルの特徴などが紹介されています。
ケーブルカーの車窓からは、筑波山の地形や地質、自然環境の観察はできますが、勿論、筑波山神社(宮脇駅東側登山口)からの登山ルートを登れば、これらの地形や地質、自然環境の観察に加え、土木遺産としての筑波山ケーブルカーの景観が観察できます。筑波山地域の日本ジオパーク認定を機に、是非一度、このルートにチャレンジしてみてください。

登山やハイキングは、平地ウオーキングとは違う筋肉を使うことから、トレイルウオーキングやトレッキングウオークなど多様化するウオーキングの一つとして捉え、チャレンジしてみては如何でしょうか?

            
         筑波山ケーブルカー              (国土地理院電子地形図)
 (堀野正勝 記)



 


     地図に見る土木遺産(茨城県編その4)
      -花貫川第一発電所第3号水路橋(通称:めがね橋)- (第89回)

                  


 高萩市秋山、花貫ダム中ごろの名馬里沢(国道461号の名馬里橋が架かる沢)にある国の登録有形文化財「花貫川第一発電所第3号水路橋(通称めがね橋)」は、鉄筋コンクリート造り二連アーチ橋で、橋長約77m、幅員約2m、高さ約22mの水路橋です。橋脚は沢の谷から石を15mほど積み上げ、その上部はコンクリートにより両側の山に向かって二つのアーチが掛けられ、これがちょうど眼鏡のように見えることから通称「めがね橋」と呼ばれています。ほぼ100年経った現在も、現役で使用されています(写真1)。

 水路橋は大正七年(1918)花貫川第一発電所の設置に伴い、導水のために建設されました。取水口は鳥曽根(花貫川上流部)にあり、山の中腹を掘り抜き導水されています。上部の水路は深さ1.5mあり、毎秒1.1㎥の発電用水が流れています(写真2)。

 スパンドレル部(上桁と下桁に挟まれた部分)に位置する直材に、我が国の橋梁分野におけるコンクリート導入初期の造形が伺える貴重な近代遺産です(高萩市教育委員会資料より)。

 花貫ダム周辺の当地域は、花園花貫県立自然公園特別地域に指定され、自然景観と環境が保護されており、紅葉の名所ともなっています。また、周辺の森林は、暖帯性の植物と温帯性の植物が共生する極めて珍しい森林であり、自然観察等に適していることから、林野庁より自然観察教育林にも指定されています。

 それでは、添付の地形図を見てみましょう。第3号水路橋(めがね橋)は、山の中腹を掘り抜き導水された地下水路が、名馬里沢を渡る部分に造られていることがわかります。地図記号では、「空間の水路」という輸送管の記号で表示されています。その前後(西側、東側)は破線の「地下の水路」の記号で表示されています。

 11月は、花貫渓谷の紅葉シーズンです。ウオーキングがてらお出かけの帰路、立ち寄られてみては如何でしょうか?花貫ダム中流の名馬里橋(赤い橋)の東詰めの小道を北へ300mほど歩いたところに水路橋(めがね橋)があります。
        
   写真1:花貫川第一発電所          写真2:橋上部の水路        国土地理院電子地図 
    第3水路橋(めがね橋)             
(堀野正勝 記)



 


 
     地図に見る土木遺産(茨城県編その5)  -旧月居(つきおれ)隧道-(第90回)
                  


 茨城県大子町の袋田近郊にある旧国道461号が、月居山(標高404m)の中腹を貫くのが、「旧月居隧道」(地図上の月居トンネル)です。旧月居隧道は、明治19年(1896)に長さ250mのトンネルとして開通した歴史のある隧道です。隧道は、素掘りトンネルで昭和の大改修でコンクリート吹付が行われるなどがされましたが、つい最近まで現役の明治隧道として活躍していました。

 最近、改めて通行が可能かどうか確認したところ、袋田側の取り付け道路入り口には、通行不可のゲートが置かれ、車では残念ながら隧道入口までは行けませんでした。大子町役場に電話で問い合わせたところ、平成25年度の点検で、トンネル内部及び取り付け道路路肩の一部崩落などにより、危険と判断し、通行不可としたとのことでした。但し、生瀬側からは隧道入口までは行けるとのことでした(覗くことは可能かも?)。

 隧道が完成する前は、峠越えの道でした。この峠道は、道路や交通機関が発達していない時代には、太平洋(那珂湊方面)から塩や魚などの海産物を運搬し、大子や栃木方面の山の幸と物資の交流を図る重要な生活道路でした。道幅が1~2mの小道で街道ではなかったが、大子の産業と生活を支える大きな役割を果たしてきました。

 月居山は、起伏の激しい男体山系の山で、北稜と南陵からなり、その鞍部に月居峠があります。南陵には「月居城址」があり、別名袋田城と呼ばれています。最初に城を築いたのが佐竹氏の支族である袋田氏であったことから別名が付いたと言われています。城は堀切、堅堀、土塁の無い小さな城です。なお、幕末にはこの峠で、天狗党と幕府追討軍の戦闘が繰り広げられたと言われています。

 現在は、地図の南側から北東方面へ国道461号が通過し、途中に「新月居トンネル(540m)」があります。新月居トンネルの真上に月居隧道が存在しています。是非、何かの機会に生瀬側から覗いてみては如何でしょうか?全国でも数少ない明治隧道です。
             
    生瀬側隧道の入り口(2014年頃)、手前は水道橋         国土地理院電子地図
(堀野正勝 記)






    地図に見る土木遺産(茨城県編その6) -霞ヶ浦湖岸施設(元鹿島海軍航空跡)- (第91回)
    


 茨城県稲敷郡美浦村大山、霞ヶ浦の中西部に今回紹介する施設はあります。この湖岸施設は、歴史的に重要な土木構造物である元鹿島海軍航空隊の施設のうち、石積み護岸やコンクリートスロープ(水上飛行機の滑走台)などの霞ヶ浦湖岸施設が土木学会選奨土木遺産として平成21年11月に認定されたものです。

 この鹿島海軍航空隊の施設は、昭和11年1月から建設が始まり、翌昭和12年に練習基地が完成しました。そして、鹿島海軍航空隊は、日中戦争たけなわの時に水上機搭乗要員(パイロット)養成のための練習航空隊として開隊されました。

 昭和20年5月5日に、練習航空隊の指定が解除され、鹿島北浦派遣隊となり鹿島海軍航空隊と呼ばれるようになりました。鹿島海軍航空隊の遺構は、土木遺産に認定された湖岸施設に代表されるように、美浦村の霞ヶ浦湖畔に今も色濃くその跡を残しており、オリジナル度の高いものです。

 この鹿島海軍航空隊の施設は、航空戦における水上機の隊員教育及び施設計画の全容が現在も遺構として残存している点と合わせて、戦前から戦中における我が国の航空戦史上固有かつ重要な歴史的価値を有する施設と言えるでしょう。

 完成から80年経った現在でも、湖岸施設は波浪による洗堀を防ぐ治水施設として活躍しています。また、万が一被災を受けた場合、水防活動や緊急復旧活動を円滑かつ効率的に行うための水防拠点として整備されています。

 大山地区水防拠点は、ヘリポートや建設機械の活動スペース、緊急船着場などを整備するほか、土砂や栗石及び根固めブロックなどの必要な資材を備蓄し、災害に備えるべく施設となっています。

 この霞ヶ浦湖岸施設は、水防拠点施設として、利用されているほか、マリーンスポーツの基地としても利用されています。また、近くには陸平貝塚遺跡(国指定遺跡)がありますので、何かの折に併せて尋ねてみては如何ですか。

            
      霞ヶ浦湖岸施設(石積護岸とコンクリートスロープ)          国土地理院電子地図
             *コンクリートスロープは湖水部に倍ぐらい続く
(堀野正勝 記)

 



    地図に見る土木遺産(茨城県編その7) -関宿水閘門- (第92回)
    


 江戸川は、400年ほど前までは太日川(ふといかわ)と呼ばれ,渡良瀬川の水が東京湾へと流れていました。江戸幕府は開府以降、さまざまな河川工事を行いましたが、なかでも最大のものが、文禄3年(1594)から始まった利根川の流れを江戸の東側に振り向ける「利根川東遷」と呼ばれる大工事でした。江戸川はその振り分けられた南側、関宿を流頭として南下し、浦安で東京湾に注ぐ川です。

 関宿水閘門は、利根川から分派するこの江戸川の流頭部にあります。明治44年(1911)からの江戸川改修工事により、江戸川放水路開削・河道拡幅・江戸川流頭部の付け替えといった工事とあわせて建設されました。
江戸時代、江戸川流頭部で活躍してきた棒出し* に代わり、利根川から江戸川に流れる水量を調節することと、船を安全に通すことを目的に、大正7年(1918)に着工し、昭和2年(1927)に完成しました。

 当時の日本は、大型建造物がレンガ造りからコンクリート造りへと移り変わりつつある時代でした。そのため、コンクリート造りの関宿水閘門は当時の建築技術を知る上でも貴重な建造物です。基礎となる堰柱、翼壁ともにコンクリートが採用されていますが、隅石などには花崗岩の石張りが施してあり、見た目はレンガ造りの水門様式を残しているのが特徴です。

 水流を制御するための水門には、8つのゲートがあります。水門は、スートーニー式鋼製ゲートで、当時は蒸気エンジン、現在はディーゼルエンジンで駆動します。

 上流から見て右側には、船が行き来するための閘門も造られています。水門を境に利根川と江戸川の水位が違い、そのままでは船が通過できないため、水位を調節して船が通行できる「閘門」が建設されました。閘門の幅は10mで、長さ100mほどの水路の両側にゲートが設置されています。閘門は、マイター(合掌)式鋼製ゲートで、2門を手動で開閉するものとなっています。

 関宿水閘門は、利根川改修事業のシンボル的存在で、数少ない現役の大型の可動堰(8連)として、平成15年度の土木学会認定「選奨土木遺産」に指定されたものです。場所は、五霞町山王地先にありますので、ウオーキングがてら立ち寄ってみてください。

*「棒出し」とは,両岸から突き出した一対の堤を築き,権現堂川から江戸川に流入する水量を減少させ、その流水を逆川に押し上げ利根川に流入させようとしたものです。この「棒出し」により江戸川中・下流域の水害は緩和され、利根川・江戸川の水量を一定に保つことが容易となり、河川交通の面でも重要な役割を果たしました。
    
関宿水門(下流側からの撮影)      関宿閘門(上流側からの撮影)  国土地理院電子地図      
(堀野正勝 記)





     地図に見る土木遺産(茨城県編その8)  -大手橋(水戸市三の丸)-  (第93回)


 大手橋は、水戸城の二の丸から水戸藩校である弘道館のある三の丸との間にかけられた橋で、藩政時代の様式を継承しつつ、鉄筋コンクリートづくりの橋として昭和10年に架け替えられて現在に至っています。橋は、平成22年に土木遺産に認定されました。

 この橋を含め、水戸市三の丸歴史ロードとして弘道館付近から本丸城跡までの小学校、中学校、高等学校の外壁を白壁とし、水戸市の史跡を巡るウオーキングコースとなっています。
橋は、橋長22.8m、幅員6.1mで、上部工が鉄筋コンクリート造り、下部工がイギリス積み煉瓦づくり(一部石造り)となっています。

 弘道館・水戸城跡周辺地区は、世界遺産を目指す弘道館をはじめ、橋詰門(薬医門)、水戸彰考館跡、義公生誕の地など、水戸城の歴史を伝える豊かな歴史的資源が現存し、また、北辰一刀流剣術や新田宮流抜刀術、水府流水術など、弘道館の精神を反映した人々の活動が受け継がれているなど、関東でも有数の城下町の名残を今にとどめています。

 また、小・中学校や高等学校等、多くの教育機関が立地するなど、文武不岐の伝統を偲ばせる学問の府・水戸を象徴する重要な地区となっています。

 このように水戸の歴史の象徴でもある本地区の歴史的魅力を高め、多くの人が訪れる歴史まちづくりを推進していくことは、水戸市にとっては、市民の郷土愛の醸成や郷土への誇りを育むとともに、中心市街地のにぎわいを創出し、活性化を図っていく上でも必要と言えるでしょう。

 一方、水戸市は平成22 年に国の認定を受けた歴史的風致維持向上計画に基づき、歴史的景観の保全・形成を図るとともに、大日本史編さんの地・水戸彰考館跡に立地する第二中学校の校舎改築にあわせ、歴史的景観に配慮した正門や白壁塀、二の丸展示館の整備等を推進してきました。

 水戸を訪れた際には、この三の丸歴史ロードを歩き、大手橋を上部から、また、下部から観察してみてみるのも一興です。ぜひ訪ねてみてください。
   
 大手橋の上部           大手橋の下部           (国土地理院電子地形図)
 (堀野正勝 記)





     地図に見る土木遺産(茨城県編その9)  -筑波山砂防堰堤群-     (第94回)


 昭和13年、茨城県下では観測史上最大の豪雨(県内400mm~700mm)に見舞われ、各地で大きな水害をもたらした。筑波山千寺川(せんじゅがわ)では土石流が発生し、3名が死亡、寺社や家屋が全壊するなどの大きな被害を受けたため、茨城県では翌年から筑波山砂防事業に着手しました。

 土石流が発生した千寺沢に、石積みの砂防堰堤を昭和14年から18年にかけて総数24基にも及ぶ堰堤群を施工しました。

 この堰堤群は、茨城県における初期の砂防事業によるもので、現在もなお保存状態も良好です。

 その後は、堰堤群の効果により土石流の発生が防止され、今日まで筑波山神社やその門前町である筑波山山麓の安全を守ってきています。石積みの堰堤群は、渓流の景観に溶け込み、当時の土木技術を伝える貴重な構造物となっています。

 場所は筑波山神社の東側裏手になりますので、神社参拝の折、見学してみては如何でしょうか。
 
*土石流とは:山腹、川底の石や土砂が長雨や集中豪雨などによって一気に下流へと押し流されるものをいいます。 その流れの速さは規模によって異なりますが、時速20~40kmという速度で一瞬のうちに人家や畑などを壊滅させてしまいます。(国土交通省HPより)
      
  石積みの千寺川砂防堰        24基の砂防堰堤群      土石流模式図(国土交通省HPより)
 (堀野正勝 記)





           地図に見る土木遺産(茨城県編その10)         (第95回)
                  -央(なか)橋(常陸太田市町屋町- 


 央橋は、水戸から北へ向かう旧棚倉街道の一級河川里川にかけられた橋で、昭和12年(1937年)の建設当時は画期的な造形美を誇っていました。山紫水明の地に美しく生えるアーチ型のローゼ橋(アーチ形構造の橋の一種類)です。

 現在は、新たな国道349号バイパスができたため常陸太田市の市道になっています。

 この橋は、昔の面影の残る町屋町の宿場の入り口にあり、地元では昔から「めがね橋」の愛称で親しまれ、秋のイベントにはライトアップされるなど地区のランドマーク的存在となっています。

 旧棚倉街道沿いには、老舗の酒蔵(桧山酒造)や宿場町の面影を残す「宿」集落、この春からスタートしたNHK朝の連ドラ「ひよっこ」の撮影にも使われた旧町屋発電所の赤れんが造りの旧町屋変電所(有形登録文化財、西河内下町の公民館)などの見どころもあります。

 橋の概要は、橋長34.0m 幅員7.6mの鉄筋コンクリート橋(ローゼ橋)で、いばらき百名橋の一つに選定されています。

 また、平成15年(2003年)に国の登録有形文化財に登録され、平成22年(2010年)には、土木学会選奨の土木遺産として選奨されました。

 ここで、日本におけるアーチ橋について、ちょっと見てみましょう。日本には、石のアーチ橋の技術は、中国から沖縄(当時は琉球王国)にもたらされたものが最初とされています。

 その後、長崎にも技術が伝えられ、江戸時代寛永年間の1643年に眼鏡橋が架けられました。これを契機に九州各地に石造りのアーチ橋が架けられています。熊本の通潤橋は灌漑用の水路橋として、大変よく知られています。

 また、木造のアーチ橋としては、山口県岩国市の錦帯橋が大変良く知られています。江戸時代の1673年に中国の同名の橋をモデルに独自技術で架設されたものと言われています。

 茨城県にも、土木技術的にも国を代表するアーチ橋があることは、大変意義深いと思います。何かの機会に央橋とそれに続く旧棚倉街道の宿場町等を訪ねてみるのは如何でしょうか?
          
  
 美しい央橋の全景(国道349号新央橋から望む)
      
     国土地理院電子地図
            
 橋は昔から「めがね橋」の愛称で親しまれています
 (堀野正勝 記)





           地図に見る土木遺産(茨城県編その11)         (第96回)
                  -江連用水旧溝宮浦両樋- 


 下妻市宗任神社の裏手にある「江連用水旧溝宮浦両樋」は、平成27年3月26日、下妻市初となる国登録有形文化財に登録されました。また、平成28年度には土木学会選奨土木遺産としても選定・登録されました。
 
 江連用水旧溝宮浦両樋は、栃木県真岡市上江連を水源とし、鬼怒川と小貝川に挟まれた地域の灌漑用として明治33年(1900年)に設けられた分水施設です。もとは江戸期に開設された灌漑用水の分水施設で、明治期に煉瓦造りに改築されたもので、地域の貴重な歴史的資産として維持管理されてきた施設です。

 昭和50年代に江連用水の流路が変更され、使用されなくなりましたが、歴史的な貴重な施設であることから、周囲は公園として整備されています。江連用水には多数のレンガ水門が存在しましたが、現存するのはこの水門のみです。

 全国に数ある有形文化財の中でも、農業施設の文化財はかなり珍しいものです。レンガ造りの東西二つの水門と、湾曲する擁壁が一体となっており、上流からの水を等分して下流に流すことができる構造になっています。

 水門中央部のせき柱は、上流部は船の先端のような水切りの形状で、下流部は階段状になっているのが特徴です。建築材として使われたレンガには、明治31年3月に開業した下妻市鯨の國府田煉瓦工場で製造されたことを示す「∴」の刻印を見ることができます。レンガ設計者等は伝えられていませんが、レンガの積み方はイギリス式が採用されています。
 「江連用水旧溝宮浦両樋」が国登録有形文化財に登録されたことを機に、「下妻いいとこ案内人の会」では、新たな歴史探索コースを設定し、下妻市を訪れた方々に観光地などを案内するガイド活動を行っています。最近では、茨城県建築士会下妻支部と協力しながら「街並みウォーキング」を企画運営するなど活発な活動を行っていると聞きます。         

  
 江連用水旧溝宮裏両樋:上流から下流に等分し流す施設
      
     国土地理院電子地図
 (堀野正勝 記)





           地形図に見る土地の成り立ち(茨城県編その1)      (第97回)
                  -鬼怒川の旧河道を歩こう- 


 前回(第96回)、下妻市宗任(むねとう)神社の裏手にある「江連用水旧溝宮浦両樋」を土木遺産シリーズとして紹介しましたが、その折に、江戸時代にはこの付近に鬼怒川の水運を活用した鬼怒川隋一の河岸・宗道河岸があったことを知りました。そこで、新シリーズとして、地形図から見えてくる特徴的な地形とその土地の成り立ちを紹介することとしまし
 
第1回は、「鬼怒川の旧河道」を紹介しましょう。

◎ 宗道河岸の衰退 
 この地域は、江戸時代、現在の宗道地区に鬼怒川が湾曲して入り込んでいたと言われ、当時は、鬼怒川を往来する高瀬舟の寄港によって鬼怒川随一の河岸として賑わっていました。
 宗道神社裏手は、宗道河岸として江戸時代に開設以来大正中期まで物資の集散地として栄え、高瀬舟の帆柱が立ち並び、大欅の枝影に泊まり情緒豊かな処であったと伝わっています。(明治10年代の迅速測図原図参照)

 その後、大正2年の常総線の開通、陸路の整備等による水運の衰退に伴い河川は改修工事され、鬼怒川は宗道地区の西方を真っ直ぐに流れるようになり、往時の面影は消えました。(米軍1947年撮影空中写真参照)

 宗道神社の建つ付近は、上・中・下と3つあった宗道河岸址と言われています。旧河川敷(旧河道)は、主に水田化され、今は千代川庁舎などが建ち、当時の面影はほとんどありません。地形図上で「鬼怒」と示された注記が宗道神社裏手に見られますが、旧鬼怒川の河川敷を埋め立てて造成された新興住宅地で、東日本大震災時には、地盤の液状化や不同沈下による地盤被害が発生し、多くの土地や建物が被災しました。

 かねて、何回か本シリーズ(IWAニュース・地図のお話)にて、地形災害のお話をしましたが、この地域は、まさにその例と言えます。(地理院地図参照)

◎ 旧河道を活かしたニュースポーツ施設 「ほっとランドきぬ」 *旧河道を活かす 
 温水プールと11種類のお風呂を持つ、健康づくりと、くつろぎの施設です。プールサイドまで全館に床暖房が完備されています。プールの周りには水着のまま入れるお風呂やサウナがあり、トレーニングジムでは、専属のインストラクターが丁寧に指導してくれます。
 「ほっとランドきぬ」の南側には、鬼怒川の旧河道を活かした親水公園や、パークゴルフ場、ランニングコースなどの施設が整備され、家族ずれや、若い人たちのジョギングや、高齢者を中心としたパークゴルフを楽しむ姿等が見られます。(地理院地図参照)

◎ 水神様と「清流の変遷と水神祭祀の紀」
 鬼怒川土手の近くの鎌庭集落北縁には、水神様と「清流の変遷と水神祭祀の紀」があります。ここは、かつて鬼怒川が大きく東に蛇行した地点で、「鎌庭」の集落が、旧鬼怒川の自然堤防上に広がっているのが地形図上に見て取れます(地理院地図参照)       

     
        迅速測図原図(明治10年代)
     
    国土地理院電子地図
           
         米軍1947年撮影空中写真
 (堀野正勝 記)





         地形図に見る土地の成り立ち(茨城県編その2)         (第98回)
            -海岸平野と鹿島臨海工業地帯- 


 海岸平野とは、海岸に広がる平野を言います。狭義には、海底の一部が隆起して形成された平野をいいます。広義には、海岸砂州や砂丘、その内陸側の潟湖(せきこ)や後背湿地、さらにデルタや扇状地など、海岸地帯に分布する低平な地形全体の総称として用いられています。

 日本の海岸平野は、縄文時代の海進作用によって広く海に覆われたのちに、その後の海退作用によって陸地化しました。そのため、海岸平野の地下には、貝殻などの化石を含む砂や泥からなる海成層が多くみられます。 茨城県では、銚子から大洗にかけての鹿島灘沿岸の平野がその例でしょう。近くでは、千葉県九十九里浜沿岸の平野が典型的です。

 鹿島臨海工業地帯は、茨城県鹿嶋市、神栖市一帯にある工業地帯です。鉄鋼業、発電所、石油化学等の工場群があります。約160の企業、2万2000人の従業員を擁し、茨城県下最大の工業集積を誇っています。

 工業地帯は、茨城県の東南部(鹿行地域)、霞ヶ浦の東に位置し、鹿島灘に面した、堀込式の工業港である鹿島港を中心に広がっています。 鹿島市には新日鉄住金鹿島製鉄所を中心に新日鐵住金系の企業が立地し、神栖市には、石油化学工業や飼料を中心とした企業の工場が立地しています。この地域の開発は、茨城県が1960年(昭和35年)に「工場誘致条例」を制定したことに始まり、1984年(昭和59年)の開発終息まで25年を要しました。

 工業地帯の南東側(神栖市地域)を地図上から地形的にみると、鹿島灘に面した砂州・砂堆や砂丘(10~20mの標高、風力発電所などが展開)とその後背湿地 (標高数mの水田地帯) や潟湖からなる海岸平野です。前述のように昭和30年代後半にこういった地形の特徴を生かした堀込式の鹿島港を建設しました。

 その後、工業地帯は順調に発展してきましたが、2011年(平成23年)3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では、揺れに加え津波と液状化で、鹿島港の港湾施設が崩壊したほか、各社の工場施設にも大きな被害を受け、震災直後は操業停止などの状況に陥りました。震災については、皆さまにも記憶に新しいことと思います。

 鹿島港周辺を歩くときには、30年代後半に大きく改変された地形を思い出し、新たな工場群を見るのも如何でしょうか

           
       図―1 海岸平野と掘込式の鹿島港        図―2 鹿島灘に面した海岸平野
 (堀野正勝 記)





         地形図に見る土地の成り立ち(茨城県編その3)         (第99回)
            -台地・段丘と谷底平野(低地)- 


 台地・段丘とは、地形表面がほぼ平坦で、周囲が急斜面や急崖で限られた段状の地形を言います。地形学的には、台地は構成する地層や地質のいかんによらないのに対し、段丘は過去の水面(河川、海、湖など)に関連して水中で形成された平坦面が、その後、離水した地形を指し、河岸段丘、海岸段丘、湖岸段丘などに区分されます。従って、溶岩台地とは言いますが、溶岩段丘とは決して言いません。

 谷底平野(低地)とは、山地や丘陵、段丘を刻む谷の、谷口より上流の谷底にある細長い低地を言います。谷底平野は、谷の中を流れる川の側刻によるか、谷に何らかの原因で堆積が行われて生じた低地を言い、谷底低地とも言います。
 
今回は、牛久沼とその周辺の地形を題材に、牛久周辺の土地の成り立ちを見てみましょう。
牛久沼は、茨城県南西部、龍ヶ崎市北西端にある沼です。周囲25.5km、面積3.49㎢、最大水深3m、水面標高5mです。沼は、東・西谷田川下流部(谷底平野)が小貝川の土砂でせき止められてできたものです。

 牛久沼の周囲には、台地(洪積世の河岸段丘)が標高25m~30mの平坦面を形成しています。台地上には、戦国時代の城跡(牛久城址:牛久市・城中町辺り)が残っています。
 
 牛久城は城主の岡見氏によって天文後半(1550年頃)に築造されました。この城は、戦国期に築かれた東国の城の特徴を持ち、本丸がある城山には石垣や天守閣を持たない典型的な遺構を残しています。

 ここは、小田原北条氏と水戸佐竹氏との境目にあり、三方を沼に囲まれた平山に北条流の築城技術を取り入れて造られた極めて頑強な城になっていました。

 牛久城は、天正18年(1590)に豊臣秀吉軍の東国攻めにより開城しましたが、それまでは、度重なる周辺豪族との戦いを守り切った名城です。その後、秀吉は由良国繁を牛久城主としましたが、関ヶ原合戦後の元和9年(1623)、由良氏の除藩に伴い、ついに牛久城は廃城となりました。

 牛久城は、周囲三方を沼に囲まれ、一方の北側は台地を掘り切った要害堅固な旧城中集落全域を包む大規模な城郭でした。大手門は、堀切のほぼ中央に「喰い違い虎口」と「桝形馬出し」を備えた、厳重なものとして構築されました。

 大手門をあとにし、一路牛久市観光アヤメ園を目指します。牛久城の北辺の堀切部分を西へ向かう小道が「芋銭の散歩道」です。得月院の裏手を巻くように牛久沼散策コースへと入っていきます。また、平成24年3月には牛久沼沿いに遊歩道が整備され、「牛久沼かっぱの小径」と名付けられウオーキングのコースとなっています。

 是非、台地(牛久城址)と牛久沼を巡るウオーキングを一度楽しんでみては如何ですか。
  
                  
       2万分1迅速図 「牛久村」(縮小)      2.5万分1地形図 「牛久」(縮小)
       明治14年測量  明治30年修正        昭和52年改測   平成19年更新


                   
                         牛久沼と牛久城址遠景

                                         (堀野正勝 記)




            地形図に見る土地の成り立ち(茨城県編その4)      (第100回)
                   -山地・丘陵と土砂災害- 


 山地や丘陵は、日常的なイメージから言えば、山地は高くて険しい山々であり、主に時代的に古く(約6,500万年前以降)硬い岩石からなり、丘陵は低くて緩傾斜の滑らかな尾根と浅い谷の連なる低山(里山)で、比較的新しい時代(約2,300万年前以降)の地質と言えます。しかし、山地も丘陵も台地や低地とは異なり、自然的な外部要因(降雨、降雪など)による地形変化(崖崩れ、土石流、地滑りなど)を受けやすいことを忘れてはなりません。

 今年7月の九州北部豪雨では数多くの土砂災害が発生したのは記憶に新しいことと思います。これらの土砂災害は主に山地や丘陵地の谷沿いに多く発生し、多大の被害を与えました。比較的人口が少ない地域のため記憶から早く遠のくことが多く、「災害は忘れたころにやってくる」といった感覚になりがちです。
 崖崩れは、しみ込んだ水分で崖が一気に崩れ落ちる現象で、突然起きるため、人家近くで発生すると非難が難しくなります。

 土石流は、山腹や川底の石や砂が豪雨などで強まった川の流れに乗って一気に下流に押し出される現象です。時速20km~40kmと言われ、下流の人家や畑を壊滅させます。2014年には、広島県で発生し、犠牲者は70名を超える災害となりました。

 地滑りは、斜面が地下水の影響や重力でずれていく現象で、動き出すと止めるのは困難で、土の量も非常に多いため、被害が大きくなりやすい傾向にあります。

 最近は、山地や丘陵を活用したトレッキングや、ハイキングを取り込んだスポーツとしてのウオーキングが盛んにおこなわれるようになりました。茨城県北部や筑波山周辺には山地や丘陵地が配置されていますので、その特質を頭に入れてのコース設計や安全対策を取っておくことが重要でしょう。

*昭和13年の筑波山千寺川の土石流災害 ⇒ IWAニュース(2017年4月号)参照
      
       
      図1 筑波山地と周辺域の地形
     
           
           図3 筑波山周辺の地形図

        
         図2 筑波山地の地質
 (堀野正勝 記)



           日本版GPS「みちびき4号」打ち上げ成功        (第101回)
                -カーナビや携帯電話で現在地がさらに正確になる!- 


 地図のお話の連載も無事100回を通過しました。皆様のご理解とご協力に心より感謝します。

 ところで、今回のお話のタイトル「日本版GPS「みちびき4号」打ち上げ成功」は、つい最近の出来事として、新聞やテレビ報道で、皆さんもご存知かもしれません。地球上の位置情報の精度確保、特に日本エリアでの精度が高まるというお話です。

 GPS(全地球測位システム、米国)の精度を高める日本版GPSとして、2010年9月に1号機が、今年(2017年)に入って6月に2号機が、8月に3号機が、そして、この10月10日に待望の4号機が無事打ちあがり、24時間の運用に必要な4機体制が整いました。政府は、来年の4月にも、高精度な位置情報の提供を始めると言っています。

 みちびき4号は約10日間かけて、日本のほぼ真上を1日に8時間飛行する準天頂軌道に入ります。「みちびき」は、米国のGPSを補う信号(同じ周波数帯の電波)を出すことにより、GPSと一体運用が図られ、都市部のビルの谷間や山間部で起こる位置情報のずれなどを低減します。

 専用の受信機を使えば、誤差6cm程度まで高精度な測位ができると言われています。最低3つの衛星があれば、何とか車の場所は特定出来ますが、正確な時刻を同時に求めるためにはもう一つの衛星が必要で、最低4機体制が必要です。国では、安定したサービスを提供するため、2023年をめどに7機体制にする方針です。

 それでは、日本版GPS「みちびき」の運用によって、我々の暮らしにどう役に立つのでしょうか?先にも述べたように、車の位置精度が上がることにより、安全で快適な車の自動運転が可能となります。

 また、高速道路のどこからどこまで走ったかが瞬時に分かり、あとでお金を請求する「ロードプライシング」なども可能でしょう。更には、農作業用の無人トラクターや豪雪地帯の除雪作業車も無人化されるでしょう。勿論、地震や津波のような災害時にも、精度の高い情報提供が期待されています。

 我々もスマートフォンなどを活用しウオーキングコースの作製などに、より安全で正確な情報集約が可能となる日もそう遠くないでしょう。「みちびき」の活躍に大いに期待しましょう。
      
  
      準天頂衛星「みちびき」の想像図 


  
     準天頂衛星「みちびき」の原理 

       *JAXAホームページより
 (堀野正勝 記)



一般社団法人日本ウオーキング協会 JAPAN WALKING ASSOCIATION いばらきヘルスロード 新日本 歩く道紀行100選シリーズ 歩いておきたい1000の道 ウォーカーズスタイル Walkers-Style






協会概要 IWAニュース 最新大会案内 県協会主催大会
 
活動報告 加盟団体情報 指導者会 個人会員 茨城を歩こう
 
連載 パスポート案内 ウオーキング用品 申請書ダウンロード 関連リンク
 
お問い合わせ 過去のお知らせ サイトマップ page top